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「九里、九里……。俺のうちを、頼む……」
息を引き取る間際まで、うわ言のようにそう繰り返して。
「俺の畑を、頼む、頼むぞ……」
五月の三日、午後一時半。少し早目に訪れた初夏の陽気に誘われるかのように、祖父の身体から魂が抜けるのがわかった。
祖父が臥せる床の間に居合わせたのは、俺と、医師と、近所に住んでる顔馴染みの爺さん婆さんが五人くらい。
みんな潤んだ声音で祖父の名を口にしては涙を拭っていたけど、不思議と俺の心は静かだった。
ただ、軒先に吊るされている風鈴の音が、今日はやたら大きく聞こえるなぁとか、そんな事が意識の隅に引っ掛かるくらいで……
臨終の場に俺の両親と、妹の姿は無かった。三人は五年も前に、交通事故で他界している。
他にこの場へ呼ぶべき血縁者として、母の兄にあたる叔父がいることは知っていたけど、会った事もなければ連絡先も知らなかった。
だから祖父の死に目に会えた家族は、俺だけだ。
俺こと畑上九里【はたけのかみ きゅうり】は、今年で十六歳になる高校一年生。
どうにも悪ふざけとしか思えないこの名前は、今しがた息を引き取った祖父から貰ったものである。
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