第1章

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 小麦色の記憶                       籠原司 「ふーむ」  藍色のバンダナで纏められた黒髪の女性は、目の前のパンを睨みながらため息を一つついた。そしてこの目の前のパンたちがため息の原因でもあった。  新作のパンを馴染みの客に頼まれたのだ。なんでも、今度地元特産のフルーツであるマンゴーを活用したパンを作ってくれないか、とのこと。どうやらそれを特産物の祭りに出して、地元のPR活動の目玉にするようだ。 「とはいってもねえー」  どれも作られているんだよねえ、と一人ごちる。目の前にあるパンは、マンゴーのムースがたっぷりと詰まったコロネや、角切りマンゴーを乗せて焼いたパイ風のものなど、どれも美味しそうだ。しかし、これと言って目を引くような特徴は無かった。 「……駄目だ!」  バン、と机を大きく叩くと、彼女はバンダナを外し、部屋から出て行った。  こう滅入った時は、外に出るのが一番だ。       ○  厚手のニットカーディガンやコートを羽織り、カラカラと引き戸を開けて外に出る。  途端に頬やうなじを、澄み切った風が挨拶とばかりに体当たりをかけてきた。 「さむっ」  思わずそんな声が漏れる。三月に入った、というのに、山あいにあるこの土地に春の足音はまだまだ遠い。  日陰の草花を一歩踏み込めば、さくり、とシャーベットを食べた時のような音が微かに耳朶を打った。そう言えば、マンゴーパンの製作を依頼した人の故郷では気温がマイナスまで落ち込むことがまず有り得ない、と驚いていたなあなどと考えながら、当てもなく足を進める。  ようやく霜が融け始めた田畑やその合間にある家々を眺める。遠くでは微かに猟銃の音がする。山鳩のくぐもった鳴き声が、それに合いの手を入れているようだ。 「マンゴーかあ……」  南国フルーツの代表格であるマンゴー。プリンやクッキー、チョコやムースなど、様々な加工品がある。それらに負けないインパクトなら、見た目だけじゃなくて味にも何か一工夫欲しいところだ。りんごとシナモンみたいに、何かしらのスパイスと組み合わせてみるか、それともいっそのこと、惣菜パンにどうにかして合わせられないかを考えるか…… 「ふわっ!」 「うわっ」  ボスン、と布製のものにぶつかる感覚、そしてその反動で後ろに倒れそうになる。 「わわわっ」 「危ない」
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