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「マジで?! 彼女って、歩美さんだよね?」
「アホ! 決まってんだろ!」
「え、え……じゃあ、結婚すんの?!」
そう訊くと、兄は二目と見られないひどいニヤケ顔で頷いた。兄弟でなかったら、「気持ち悪い」と口にしていただろう。
大輔は、しばらく開いた口が塞がらなかった。
「ほんっとうに恥ずかしいったらないわ! あちらの……歩美さんのご両親に会す顔がないわよ! だからお母さんは、同棲するんだったらさっさと入籍だけでもしなさいって、前から言ってたのに」
母は、デキちゃった結婚に手放しで賛成はしていないようだ。しかしその口調からも表情からも、初孫ができたこと、それから息子の結婚が決まったことが嬉しくて仕方ない、と伝わった。
大輔だけ、間抜け顔のままだった。
(だって兄ちゃん……)
ふいに脳裏によぎる、過去の記憶。
今日、ホテルでフラッシュバックした、あのおぞましい光景――。
「……それでさ、急に今週末、歩美の家族と食事会することになってさ……大輔、お前も出られるか?」
「え? あ、うん……交番の時と違って、基本は土日休みだから……」
冷静に兄に答える自分が、どこか自分でないように感じた。
キッチンの母は、夕飯を温め直しながら鼻歌を零している。兄は、デレデレとだらしない顔でのろけてくる。子供の性別はどっちがいいと思う? などと大輔に訊いて。
「あ~あ、お父さん、明日出張から帰ってきたら驚くわよ~。最近血圧が高いけど、大丈夫かしら」
「ハハハ、母さん、上手く話してよ」
母と兄は、互いの顔を見て笑い合った。
それを見つめる大輔は、自分の中から自分が抜け出ていく感覚に捕らわれていた。
心と体が引き離され、今いる現実が、あやふやになっていく――。
「大輔?」
弟があんまり呆けているからだろう、兄が心配そうに覗いた。
大輔は頭を振って自分を取り戻した。
「ごめん、びっくりしちゃって……」
「だよなぁ、俺だってびっくりしたし」
驚いた、と言いながらも満面の笑みの兄に、大輔はぎこちなく笑った。
「兄ちゃん、おめでとう」
兄は嬉しそうに「ありがとう」と言った。
母がキッチンで、楽しそうに鼻歌を歌っている。
堂本家に降ってわいた幸せな話に、追いつけないのは大輔の心だけだった。
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