第1章

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仕事の話だろうとは思うけれど、手ぶらで行くのも気が引ける。 訪ねる前にお菓子でも買っていこうと思い、それを何にするかでまた悩む。 行くと言った事をほんの少し後悔しながら近くの洋菓子店でケーキを買い宮倉の家を訪ねた。 玄関を開いた宮倉は松浦を上から下まで舐めるように見つめ「相変わらず可愛らしい事で」と言った。 自分としては、年上の上司なのだからとかっちりした感じにまとめたつもりだった。 ジャケットの下のハイネックがいけなかったかな、黒にしたのに。 あれだけ考えたのにこれは失敗だったようだ。 松浦は玄関先ですでにぐったりしてしまった。 リビングに通された松浦は「これ、どうぞ」と宮倉にお菓子の箱を差し出した。 宮倉は二度目をぱちぱちと瞬かせ「はあ、どうも」と受け取りコーヒーを入れ始めた。 ソファの端に腰掛けてつけっ放しになっていたテレビに目を向ける。 正月のスペシャル番組のようで、見たことのない若者が多数でワイワイと話していた。 目の前のテーブルにコーヒーカップが置かれ一人分ほど空けて宮倉がソファを背もたれにして座った。 何の話が出てくるのか身構えていたけれど宮倉は口を開くことなくコーヒーを飲みながらテレビを見ている。 話しかけたほうがいいかと話題を考えて瀬戸の抱えている商談の話を振ったけれど宮倉はああ、とかそう、とか生返事を繰り返すだけだった。 しんと静まる部屋にテレビの楽しそうな話声だけが響く。 仕事の話をしたくて呼んだのかと思ったけれどさっき話した感じではどうも違っていたようだ。 なんの用事なのかな? 聞いていいのか? どうしたらいいか分からないまま、松浦は興味のないテレビを見ているふりをした。 沈黙が重い。 しかし……話そうにも共通の話題も思いつかない。宮倉の趣味すら知らない。 考えあぐねている松浦に「松浦さん夜どうする?」と宮倉が不意に聞いてきたのでもう帰ったほうがいいのかと慌てて「帰るよ、お邪魔しました」と宮倉宅を飛び出した。 何か、背後で宮倉が言っていたような気がしたが、正直間が持たず胃が痛くなりつつあったから松浦は振り返らなかった。 それ以来、二人で会ってはいない。 宮倉の家に泊まったあの日以来、頻繁にメールが届くようになった。 特に夜は家に着いたのか、いつ寝るのか毎日聞かれる。 どうしてなのか不思議だけれどそう聞くのも聞き辛く毎回聞かれた事の解答をちゃんと送った。
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