第1章

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こう考えると自分も随分と引きずっていると思う。 湯でごしごしと顔を洗う。 松浦は、好きになりたくないタイプだ。 最初見た時からそう思ったんだ、顔を真っ赤にして口を半開きにして…… ああいうのを既視感って言うんだろうな。 どうして好きになったんだろう? 松浦は知らないかもしれないがつけ回される前からよく清水工場ですれ違っていた。 あの頃松浦はまだ課長ではなく平社員で、工場のおじさん連中と注文品の試作に奔走していた。 ああでもないこうでもないと一緒に悩んでいる姿は少し羨ましかった。 もともと何かを作ることが好きだ。料理もそういう自分の気質に合っているような気がする。 だから入社時作製側のポジションを希望したのだが、配属されたのは交渉を主とする部署だった。 その人事に特に不満があった訳じゃない。人生は思い通りにいかないと過去の経験から知っていたし、社の中でも一番出世の早いの部署だから。 金は必要だった。弟達の大学入学が迫って来ていたから実家に少しでも多く金を送ってやりたかった。 でも懸命に働いて慣れた時、ふとああ違うんだよな、と感じた。 よく工場に顔を出したのはやはり未練があったからだろう。 随分と楽しそうに仕事をしていた松浦は自分の目に輝いて映った。 丁度母が再婚し、収入の心配が無くなったのも後押しして部署移動を決心した。 まさかその、松浦のいる部署になるとは思わなかったけれど。 本社にいる松浦は工場で見る姿とは大きく違っていた。 覇気のない表情に多少なりともがっかりしたが山下が「課長になるの散々渋ってた。工場に行けなくなるからねー」と言ったのを聞いて自分に似てるなと思った。 どんなに意に添わなくてもやらなければならない時がある。 松浦は愚痴を零すこともなかった。ただ童顔に似あわない眉間の皺が増えていくだけで。 慣れない仕事に四苦八苦している姿を見ると助けたくなったし何かあるとすぐ痩せるから心配になった。 それは課員皆そうなんだけど…… 白く濁った湯を掬っては落とす。 そして大きくため息を付く。 今頃松浦は何しているだろうか。 予定ではまだ接待している時間だ。 白井の言う通りあんまり飲まないほうがいいとい思う。よく知ってる山下が付いているから心配はないだろうけど。 ああ、と頭を掻きむしる。 いないと気になる。腹が立つほどに。 宮倉は勢いよく立ち上がった。
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