壱・『失せ物』編

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「私がどうかしたんですか?」  その人が放った少し低めで落ち着いたトーンのよく通る声に、 (うわさをすればなんとやら、とかいうやつがあったっけ…)  平人はぼんやりとそう考えた。  彼らが『えむちゃん』や『水江』と話していた、その本人が二人の目の前に…正確には、二人の座るテーブル席の横に自分の存在を知らせるかのように立っていた。 目の上でそろえられた前髪に、艶やかなストレートの黒髪は無造作に肩にかかっている。髪と同じ色の目はよく細められていて、フルネームは水江歩夢<みずのえあゆむ>という。 「あれ、講義はどうしたの? のえるちゃんと同じやつとってたよね?」 「はい。ですが、今の時間は講義なんてありませんよ? それがどうかしましたか?」  彼女の返答に千穂も平人も声を大にして笑った。  つまりのえるは、千穂といる気まずさからカフェテリアを抜けただけだったのだ。 「大丈夫ですか? かのとさん」 「なんでピンポイントに俺? それにさ、その呼び方やめようよ…えむちゃん」 「ならあなたもやめてください。私は歩夢ですから」  胸に手を当てて、歩夢は言い聞かせるように言った。
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