譚ノ壱 秋宴

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手に携えた扇で風を巻き込み、解き放つ。 ──その時だった。 がつん! 「……!?」 冷たく固い音が耳に届き、その直前、紫翳の顔に液体が降りかかった。 思わず動きが止まる。酒の匂いが鼻をついた。 足元に転がる盃に気が付くのと時を同じくして、さらに2個、3個と酒で満たされた盃が投げ込まれた。 中身が頭から紫翳に注ぎ、足元を汚す。 はっと顔を上げると、多部一門が大袈裟に肩をそびやかし、紫翳を指差して笑っていた。 その中には、国実の姿もある。 そればかりか、国実は声高に言葉を投げてかけてきた。 「おやおや、どうされたのだ、冬霞殿。何ゆえそなたにだけ、斯様な雨が注ごうか?」 (国実様……?) それは、あまりにも衝撃的な出来事だった。 世間体にばかり気を取られる多部一門の嫡男でありながら、紫翳を世間の風聞だけでは判断しなかった男・国実。 彼には少なくとも嫌われてはいないと思っていただけに、何が起こったのかを理解するまでに、まず、時間がかかった。 国実の父、右丞相・惟為が満足そうに笑いながら息子の様子を窺っているのが、紫翳から見えた。 ぽたぽたと前髪を伝う酒の滴が、いかにも紫翳を憐れっぽく仕上げている。 紫翳は扇を下げ、その場で深々と頭を下げた。 「……お見苦しい姿をお目にかけ、誠にご無礼つかまつりました。辞去を以て、償いとさせていただきとうございます」 「おぉ、おぉ。そうするが良いぞ。風病でも患うてはいかん」 囃し立てるような国実の口ぶりに、他の貴族たちは一層嬉しそうに袂の影で笑っている。 紫翳は素早く舞台から下り、ただちに宴席を外れ、そのまま禁中を後にした。 邸に戻ると、出迎えた猫目石{ねこめいし}が目を真ん丸に見開き、鶫{つぐみ}が悲鳴をあげた。 「臭っ!! 酒臭いわよ、あんた。何してきたわけ!?」 「まさしく、浴びるほど酒を飲まされた」
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