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 夜が明けて朝になっても、朔くんは帰ってこなかった。  どこかに泊まっているのか、自宅に帰っているのか。一応朝、朔くんの家に寄ったけれど、留守にしているようだった。  営業中はどこか上の空だった。ミスタッチも多く、プロとしては失格だったと思う。最近はファンが常連に代わり、固定客も増えてきた。  自分を目当てに来てくれる人も多い。それはそれで嬉しく、より身を引き締める思いだった。けれど、やはり引っ掛かるものを無視は出来なかった。  俺のピアノを聴いて泣いてくれた朔くんが、随分と遠くに感じた。  朔くんはまた、泣いてくれるだろうか。 「……え?」  一回分の演奏を終え、事務所に戻って休憩を取っていた時だった。  飲み物を飲みながら次の曲は何にしようかと考えていると、ドアが開いた。ホールとキッチンを切り盛りしているマスターは、席を離れられないはずだった。  やってきたのは、朔くんだった。 「朔、くんっ」  思わず駆け寄ってしまった。朔くんは相変わらず表情が乏しい。俺にぺこりと頭を下げて、事務所の中に入ってきた。  パイプ椅子に座らせ、向かい合わせになる。 「どこ行ってたの、心配したんだよ」 『ごめんなさい』  さらさら、とメモに文字が書かれる。  変わった様子はなさそうだ。見たところ、暴力を振られたような傷は無い。服の下はわからないけれど……と首元をちらりと見た。  自分で動揺するのがわかった。痩せた身体に合わない大きなシャツが見せる鎖骨に、あからさまな痕がついていた。赤いそれに、何の、とは愚問だった。 「昨日、誰に会ってたの」 「…………」  朔くんは答えなかった。恋人ならすぐに答えても良いはずだ。後ろめたいことがあるのか、それならば答えは一つだった。 「お父さん、だね」 「…………」  ぱっと朔くんの顔が上がる。動揺しているようには見えなかった。目は相変わらず感情が読めない、無表情だった。 「朔くん、脱いで」 「……?」 「シャツ、今すぐ、脱いで」  気付かないはずがなかった。首に残った痕も、知らないシャンプーの匂いも、不快だった。  暴力を振られたのかどうかは、見ないとわからない。けれどそれは建前だった。鎖骨に残るキスマークだけが、俺の頭の中をふつふつと沸騰させていた。  そんなこと出来る立場じゃないのに、朔くんはいつも、調子を狂わせる。
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