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「朔くん、ブレンド一つ」
ホールからマスターの声がして、僕は温められたカップを手に取った。
「はい」
了解の返事を入れ、珈琲を注ぐ。
今日の営業は天気も良い休日と言うこともあり、朝から客入りが良かった。冬の寒さはすっかりと抜け落ち、春の陽気がポカポカと空気を暖めていた。最近はホットだけではなく、アイスの注文も増えてきた。
「マスター、ブレンド一つ」
キッチンから顔を出し、カウンターにいるマスターにカップを差し出した。マスターはにこりと笑って頷き、銀のトレンチにフレッシュとシュガーの小瓶を乗せて客のもとへ運んで行く。
ピアノの音は、今日も聞こえていた。カウンターから覗き見ると、佐伯さんは相変わらず鍵盤の上で指を躍らせていた。調子は良いみたいだ。視線に気付いたのかこっちを見て、一瞬だけ笑った。
「おい、仕事中だろー」
言われて、はっと視線を反らした。声を上げたのはカウンターに一番近い窓際の席に座る、永末さんだった。
「……そんなんじゃ、ありません」
「へぇ?」
楽しそうにケラケラ笑う。永末さんはこうして休みのときにやってくる。佐伯さんのピアノにまだまだだなぁなんてケチをつけながらも、随分と長居するから強ちそうでもないのかなと思っている。
ちりん、と入口のベルが鳴った。長身の身体を折り曲げるようにして入ってきたのは、カフェに似合わない一人の男だった。
「いらっしゃいませ」
他のお客さんの対応をしているマスターに代わって、声をかける。男―――僕の父さんは、控えめに笑った。
あれから、僕は父さんと直接会うことはなかった。
本当は、怖かった。父さんに支配されることは当たり前で、あるべき姿だと思っていた。けれどどこかで、自分を殺していることも自覚していた。
自分を殺して、叫ばないように、助けを呼ばないように、声を無くした。ただ佐伯さんだけは、声を無くしても僕の言葉を聞いてくれた。
綺麗な音を作る佐伯さんが、僕に音をくれた。
父さんとは、マスターを仲介にして和解をした。父さんは結局歪んではいたけれど、僕をそれなりに愛してくれていた。
そんな父さんを、嫌いになんてなれるはずがなかった。
まだ、二人きりで会うのは怖かった。けれどこうして、時々お店にやってきてくれることがあった。
佐伯さんは複雑そうな顔をするけれど。
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