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「お前さんが住んでいるのは、何て所だ? 私が代わりに調べよう」
「あたしの……」
住んでいる所?
「どこ……だったっけ?」
あたしは二宮さんに視線を向けた。すると、二宮さんの目がちょっと見開いた。
「忘れてしまったのか?」
「忘れて……? うん、そうだ……忘れちゃった。思い出せないよ」
「…………」
あたしは目をつむって、思い出そうと努力した。けれど、どろっとした、まるで石油タンカーが事故った海みたいな意識には、何も浮かんで来なかった。
「思い……出せない」
「お前さん……だったら、名前は?」
「名前……?」
「…………」
二宮さんは、老人特有の潤んだ目を細めて、じっとあたしを見つめてきた。
「名前……」
あたしはぽつんと呟いた。と、石油の真っ黒な膜から、ぽつんと言葉が浮かび上がってきた。
「み……き」
「ミキ?」
「うん、そう。あたしの名前はミキ。それが、あたしの名前」
すごく、しっくりくる名前だった。
「名字は?」
「……それは、分かんない」
「そうか……」
二宮さんは首を傾げた。
「記憶喪失かの?」
「うん……みたい」
住所や名前を思い出す努力をしながら、あたしは、他の事も思い出そうとしていた。例えば、あたしの年齢。家族。友達。社会人? 学生? ていうか、地球人?……そういったこと全部を、あたしは忘れていた。
「ね、先生……何であたし、記憶喪失なのかな? 先生、お医者さんでしょ? 何で?」
不思議と、ショックは感じ無かった。何だか、現実じゃ無くて、作り物のお話しのように思えたから。
あたしは、スクリーンやブラウン管を通して、あたし自身を見つめていた。
「何でと言われてもな……心については門外漢だから、よくは分からんが……。ショック、じゃないのかの」
「ショック……肺炎の? 高熱とかで?」
「いやいや、そっちじゃ無い。まあ、それも一役買っているのかもしれんが……」
二宮さんは、ふっと振り返った。あたしは少し、頭を持ち上げた。白衣の向こうに、窓があった。
「お前さん……だったら、それも忘れてしまったか」
「それって?」
二宮さんは向き直ると、
「お前さん……浜辺に倒れていたんだぞ」
「倒れ……浜辺に? それって、ドザエモン?」
「いや、私は幽霊を相手にはしていないと思うぞ」
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