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「ああ……」
澄子は、ほとんどの授業を僕に合わせていた。サークルに関しても同じことだ。僕は無所属だった。澄子もそれに倣った。どこかに入部すれば、澄子もそこに入っただろう。
「…………」
不安げな瞳をこちらに向けてくる。僕の真意を量りかねているのだろう。僕は笑みを浮かべると、言った。
「家では確かにそうだけど……大学では、澄子といつも一緒じゃないか」
「ええ……」
「それじゃ、駄目か?」
「ううん……そんなこと……」
そこでようやく、澄子は笑みを浮かべた。そして、僕の腕を、自分の身体に強く引きつけた。
(真意……か)
僕自身、量りがたい。ただ、言葉には理由がある。さっきの言葉にもきっと、それはあるのだろう。自分にも、漠然としているのだが。
キッチンでは、澄子が料理をしている。
僕はテーブルの前に座り、小説を読んでいた。タイトルは“夏への扉”。SFの古典だった。だいぶ昔に買って部屋に積んであったのを、今ごろ読む気になったのだ。名作だけあって、確かに面白い。が、文章を追いかけながら、頭の片隅では別の考えが目の前を走っている。
(初めて食事を作ってくれた時も、確かカレーだったな……)
カレーのような、何か。ルウの分量を、盛大に間違えたのだ。
張り切って、大量に作られてあった。泣きそうな澄子の顔。あの時、僕は、山盛りのカレーに懸命に立ち向っていった。はち切れそうになった腹。花開いたような澄子の笑顔。その、涙混じりの喜色が、今も目の前に浮かぶ……。
僕は本を閉じると、キッチンに向かった。
しばらく、器用に動く手先を見ていた。トントンという小気味のいい音。と、気配に気が付いたのか、澄子はこちらに向いた。
「あ……まだ、もうちょっとかかるから……」
「いや……ちょっと心配になって」
「え?」
「もう、あまり濃すぎるカレーは、勘弁な……」
「…………」
記憶を探り、思い当たったのか、澄子はちょっと不服そうな顔をした。
「今はもう、ちゃんと作れま――」
「つ……」
「……切ったのか?」
手元に視線を落とすと、左手の指先に血が滲んでいた。
「見せて」
「ええ……」
澄子の手を取り、目の前に持っていった。切り口はそう深くは無さそうで、僕は胸を撫で下ろした。
「馬鹿……よそ見するから……って、話しかけたのは俺か。すまない」
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