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「ううん、別にいいの」
僕は、その血の流れる指先を、そっと口の中に含んだ。
「あ……」
鉄の匂いが、口の中に広がった。傷口に沿って、舌でそっと舐めあげる。
「ん……」
居心地の悪そうな、複雑な声を、澄子はあげたのだった。
穴の開くような澄子の視線。僕はあまり気にしない。料理を作ってくれた時は、いつもこうだ。
「いただきます……うん、今度のはうまいな」
「本当?」
「ああ……うまいよ」
湯気の立つカレーを口に運んでいく。本当に美味しかった。
「良かった……」
心底嬉しそうな顔をした。眩しいような顔で、僕が食べる様を見つめている。
「澄子も料理が上達したな……前は、そんなでも無かったのに」
「でも、カレーなんて簡単だから……」
「その簡単な料理を失敗したのは誰だ? ……それより、見てないで澄子も食べなよ」
「ええ」
澄子はスプーンを手に取った。澄子は、僕の感想を聞くまでは、決して口にしない。
「カレーに限らずさ……他の料理も上手になったよ」
「ありがとう……私、聡人に美味しい料理を食べてもらいたいから……」
「うん……」
僕は麦茶に手を伸ばした。
「聡人に美味しいって言ってもらうと……私、すごく嬉しいから」
「ああ……」
「聡人に喜んでもらうのが、私の喜びなの……」
「うん……ところでさ、最近、勉強が難しくないか?」
話題を変えた。これ以上聞いているのが、何となく気詰まりだった。
「うん……そうね」
澄子は顔を曇らせた。
僕たちはとある医科大に通っている。澄子の方の動機は、まあ、例によってだが、僕の方には父の意志があった。父は、近くの総合病院――宮根総合病院の院長であり、経営者だった。当然、父には父の期待するレールというものがある。僕はその上を、とぽとぽと歩いていた。
「ただでさえ難しいのに、中には授業が分かりにくかったりする先生も居るし……」
「ああ」
板書をしない授業なんてのはざらだった。
「聡人は……お父さんの後を継ぐの?」
「……だろうね。そのための養子だ」
「そう……」
「大学に通っているのだって、そのため……」
「…………」
少し悲しそうな表情を僕に向けた。けれど、澄子は何も言わない。言えるはずが無いのだ。そしてそれは、僕にしたところで同じだった。
父――
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