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視界の及ぶ範囲に、時計は無かった。
(ん……)
起きようと思えば、起きる事が出来そうだった。でも、まあ、思わい方がいい。たとえ出来そうな幅だとしても、ビルとビルの間を飛び越えたりしない方がいいのと同じ。
(夜中じゃ無いよね……)
そう願いながら、枕元の赤いボタンを押した。
サイドボードの上に、水差しが置いてあった。コップに注いで飲んでいると、パチっというスイッチの音がした。
「目が覚めたのかね?」
「あ、はい」
「おはよう」
「おはようございマス……でも、朝じゃ無いでしょ? 今、何時?」
「十時だね」
「そ。良かった」
二宮さんは首を傾げた。
「だって、夜中だったら、先生起こして悪いなって思ったから」
「ああ……しかし、そんな事は気にしてはいかんぞ」
「ん~……」
「目覚めた時が朝。眠る時が夜。それが、病人の正しい姿ってものだ」
「…………」
あたしは少し、笑った。
「ん……?」
二宮さんは眉間に縦じわを作ると、あたしの顔をじっと見つめてきた。
「え? 何?」
「お前さん……泣いているのか?」
「ええ?」
思わず素っ頓狂な声が出た。
「先生……もう、注射とか患者さんに打たない方がいいよ」
「どうしてかね?」
「だって、目がもうロクしちゃってるみたい」
「……何を言う。嘘だと思うなら、手で触ってみなさい」
「またまたぁ~。どこの世界のギャグなの? それって」
何て事を言いながら、目尻に触れた。動きに、手首が少し痛んだ。
「え……?」
冷たい感触が、そこにはあった。
――涙?
「どうかね? それは、涙だろう?」
「う、うん……」
あたしはたぶん、腕の悪い操り人形のように頷いた。
「何でだろう……?」
「自分でも分からんのか?」
「うん……」
あたしは指先を見つめた。そこは、少し湿っていた。
「何でだろう……」
「……悲しい夢でも見たんじゃないのかね?」
「夢……」
言われてみれば、確かに見ていたようね気がした。
「うん……夢、見ていた」
「どんな夢かね? 何か分かれば、記憶の快復に繋がるかもしれん」
「…………」
思い出そうとしながら、夢っていうのは、水に似ていると思った。手ですくっても、すぐに零れ落ちちゃう。
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