第1章

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 そろそろ家を出ようかと思い、玄関に向かおうとした時だった。  「あ、お兄ちゃん」  「ん?」  「髪の毛、ぼっさぼさ」  「ん、ああ……」  面倒なので、ブラシもかけない事がよくある。  「駄目ですよ~」  そう言いながら、美木はどこからかクシを取りだし、僕の髪にそれを通そうとした。  「ん……いいよ」  僕はうるさそうにその手を押しのけた。  「でも……」  「そこまでしてくれなくて、いいよ。……澄子じゃあるまいし……」  「あ……!」  息を呑んだと思うと、美木はぱっと顔を背けた。失言だった、そう思ったが、出ていった言葉を取り戻すことは出来ない。  「ふ~んだ。恋人同士、仲が良くていいですね!」  すたすたと大股に、美木は去っていった。  (ふう……)  やきもち。  それはそれで、可愛いものだと思う。けれど……。  「妹が兄の恋人に嫉妬して……どうするんだ」  たとえ血が繋がっていないにしても。  僕は早速駅前に向かう。  駅では、澄子が待っているはずだった。  今日もいい天気だった。  そろそろ真夏と言っていい光が、ぎらぎらと世界を照らしている。  地面には真っ黒な影。  いつからか、風景の中に違和感無く溶け込めるようになった。初めて接した時は、僕に対して、斥力すら持っていそうに思えたのだけれど。  僕はこの村の生まれでは無い。養子にやられたのだ。11才の夏だった。  父と実母、ふたりの間にどんないきさつがあったのかは知らない。まあ、知らない仲でも無かったのだろう。だが、交わされた“契約”の内容なら想像がつく。僕という存在は、たぶん、金の代置が可能だった。  目の前にか金をぶらさげられた母は、にんじん目当てに疾走する馬となって、僕をその背中から振り落としたのだ。そして、遂に、振り向くことが無かった。  母と別れ、やって来た木之下家は、まさに別天地と思えた。  広い家。  インスタントでは無い食事。  柔らかなベッド。  知らないがために欲しいとも思わなかった全てが、そこにあった。そして、別れを告げたいと思っていた全てが、そこには無かった。つまりは、母という存在が。  出発の朝。  その日も遊び回っていた母には、結局さよならも言えなかった。言いたかったのだ。さよならは、長いお別れだと。  仕方なく、ひどく空疎に見えた家に向かって、永遠の別れを告げた。
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