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そろそろ家を出ようかと思い、玄関に向かおうとした時だった。
「あ、お兄ちゃん」
「ん?」
「髪の毛、ぼっさぼさ」
「ん、ああ……」
面倒なので、ブラシもかけない事がよくある。
「駄目ですよ~」
そう言いながら、美木はどこからかクシを取りだし、僕の髪にそれを通そうとした。
「ん……いいよ」
僕はうるさそうにその手を押しのけた。
「でも……」
「そこまでしてくれなくて、いいよ。……澄子じゃあるまいし……」
「あ……!」
息を呑んだと思うと、美木はぱっと顔を背けた。失言だった、そう思ったが、出ていった言葉を取り戻すことは出来ない。
「ふ~んだ。恋人同士、仲が良くていいですね!」
すたすたと大股に、美木は去っていった。
(ふう……)
やきもち。
それはそれで、可愛いものだと思う。けれど……。
「妹が兄の恋人に嫉妬して……どうするんだ」
たとえ血が繋がっていないにしても。
僕は早速駅前に向かう。
駅では、澄子が待っているはずだった。
今日もいい天気だった。
そろそろ真夏と言っていい光が、ぎらぎらと世界を照らしている。
地面には真っ黒な影。
いつからか、風景の中に違和感無く溶け込めるようになった。初めて接した時は、僕に対して、斥力すら持っていそうに思えたのだけれど。
僕はこの村の生まれでは無い。養子にやられたのだ。11才の夏だった。
父と実母、ふたりの間にどんないきさつがあったのかは知らない。まあ、知らない仲でも無かったのだろう。だが、交わされた“契約”の内容なら想像がつく。僕という存在は、たぶん、金の代置が可能だった。
目の前にか金をぶらさげられた母は、にんじん目当てに疾走する馬となって、僕をその背中から振り落としたのだ。そして、遂に、振り向くことが無かった。
母と別れ、やって来た木之下家は、まさに別天地と思えた。
広い家。
インスタントでは無い食事。
柔らかなベッド。
知らないがために欲しいとも思わなかった全てが、そこにあった。そして、別れを告げたいと思っていた全てが、そこには無かった。つまりは、母という存在が。
出発の朝。
その日も遊び回っていた母には、結局さよならも言えなかった。言いたかったのだ。さよならは、長いお別れだと。
仕方なく、ひどく空疎に見えた家に向かって、永遠の別れを告げた。
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