1 黒乃 - クロノ-

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僕は桜の枝を、大きな釜で煮出していく。火加減を保ちながら、桜の色素を抽出していく。時間にしてどの位だろう。 釜の中に滲み出てくる赤い液体。異国の酒、ワインの様に深みのある赤い液体は、作業場を甘い桜の香りで満たしていった。 「桜餅(サクラモチ)だ 。」 そう、立ち込める香りは、餅屋に並ぶ桜餅の独特な香りと一緒だった。同じ匂いがするんだな、当たり前か。呼吸をする度に、桜の香りが体の中を巡っていく。 「よーし、暁(アカツキ)!釜の中の桜液を、隣の大釜に移しちゃいな!そんでよ、残った桜の枝はその釜でもう四~五回茹でていくんだ。繰り返し繰り返しだ。」 「 ん?…え?これで終わりじゃないの?」 「 そう、終わりじゃないの。山々大地から恵んで貰ったものは、最後まで使いきるんだ。椿の灰は、散らさずに…えーと、この茶碗に溜めていきな。」 僕らの作業場は、ゆっくり時間が過ぎていく。呼吸を繰り返す度に、桜の香りが体を巡っていく。 焚べられた薪は、パチパチと乾いた音を立て、柔らかな炎を上げて、燃え続けていく。僕の両目は、炎を眺め過ぎて乾いていた。瞼を閉じれば、じーんと涙が滲みてくる様だ。 そして、桜(サクラ)の枝と椿(ツバキ)の枝を使いきる頃、桜餅の香りが、僕の体に染み付いた感じがする頃、雨雲なんぞは何処ぞに消えて、参道は夕焼けで染まっていた。 僕の身体は、薪木の熱で乾いてしまった 。桜餅、あんなに好きだったけど、苦手になったかも知れない。
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