第1章

7/42
51人が本棚に入れています
本棚に追加
/42ページ
 今日まで僕は一日も勉強をさぼったことはなかった。毎日きっちり三時間以上は勉強する。一日では小さいかもしれないが、毎日これを続けると、努力をしてこなかった人とは絶望的な差をつけることができる。  僕は、母の言いつけを守って日々努力を続けてきたのだった。  写真を丁重に扱い、封筒に戻す。それを鞄に入れた。  途中でスーパーにより、惣菜を買うことにした。少し寄り道だ。道路に転がる花を蹴り散らしながら角を曲がった。蹴られた花はふわふわと空中を漂う。まるで薄紙で作った花のようだ。この花もかつて人だったのだと思うと少し胸に引っかかるものがあったが、それも今は慣れた。  それにしても家まで徒歩四十分は遠い。寄り道をすれば大学を出てから家につくまで一時間は歩く。車やバイク、自転車は花びらでスリップするので危ないし、都会だというのに、スリップ防止のついたタイヤを備えたバスは一日二本しかない。人がいないのだ、仕方がない。  歩きながら、ぐるぐると頭の中を巡るのは、友のことだった。 「椎名、お前、咲いたのか……」  ふと、口に出してみる。切磋琢磨した仲間だった。 「おめでとう」  慣習で、咲いた人間にはそう言うことになっていた。彼は幸福になったのだ。彼は、冬人夏草を根絶する菌を開発すると言って薬学部に入学してきた。  冬人夏草が世界に蔓延してから十二年が経った。そして、それは世界の風景をがらりと変えた。  冬人夏草は、キク科の植物で、茎や葉、根が存在しない。花単体で存在し、ひとつの花が約一グラムと軽いのが特徴である。肉眼では見えないナノスケールの種子を漂わせ、細胞に寄生、体内で種子を分裂、増殖させる。体内に種子が入り込んでから十日もすれば体中びっしり種子の巣となるのだ。しかし、それだけでは人体に何の影響も及ぼさない。その後なのだ。  脳内で一定量以上のドーパミンが放出されると、その種子が一斉に花を咲かせる。  何かのスイッチを押されたように血の一滴も残さず、全てを花に変えてしまう。そして透き通るような白い花はわずかな風にも乗り、空中へと飛び立っていく。質量保存の法則により、その人の体重の分だけ全て花になる。成人男性が咲いた場合、放出される花の数は五万輪をくだらない。
/42ページ

最初のコメントを投稿しよう!