第1章

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 なお、本稿では八六年からセゾングループと呼称することになった西武流通部門に関して、それ以前の時代に関しても「西武セゾングループ」および「セゾン」と呼称する(堤義明による国土計画を中心とする西武不動産グループと区別するため)。  また、「西友ストアー」時代のことも「西友」と表記する。 一、コンセプト倒れの経営 一-一、「リゾーム経営」の虚構――組織運営の問題点  九〇年代以降のセゾングループの崩壊とその後を追った由井常彦、田村茉莉子、伊藤修による労作『セゾンの挫折と再生』のあとがきには、こうある。 セゾングループを統括する堤代表は、経営者であるばかりでなく詩人・作家として学問・芸術に造詣が深く、したがってセゾングループも単なる営利事業集団ではなく、理念と文化を尊重する経営理念を持っていた。グループの組織原理として「経営共和制」ないし「リゾームの組織」を提唱して、個人のあいだでも組織のあいだでも「支配と従属」を排除する哲学に立脚していた。  セゾングループ解体をつぶさに追ったはずのこの本でさえ、なぜかツッコミが甘いが、これは「お題目」にすぎない。理念を浸透させるための施策が徹底されていなかったのが実態である。  たとえば当時リブロに勤めていた田口久美子による『書店風雲録』や、アール・ヴィヴァンに勤務していた永江朗の『セゾン文化は何を夢みた』に明らかである。  たしかに百貨店の人間はリブロやアール・ヴィヴァンの売り場に口は出さなかった。その点では「支配と従属」は排除されていた。  しかし両書によれば、 ・百貨店事業部は、西武美術館、アール・ヴィヴァン、リブロといった文化事業部を煙たく思っていたこと ・セゾンには(当時の日本企業にしては進んでいた方だとは言え)男尊女卑があったこと ・百貨店事業のなかでも、服飾を頂点とするピラミッド構造のヒエラルキーが存在していたこと
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