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『SC』は『PR』を除く『カウント・ゼロ』以降のすべての長編同様に、多視点で進行する別々の物語は徐々に絡み合い、収斂していく。
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八〇年代にはサイバースペース・カウボーイを、九〇年代にはゴミだらけの橋に生きるホームレスたちをダーティリアリズムの筆致で描いたギブスンは、二〇〇〇年代になって正反対にみえる世界的な広告代理店周辺に生きる人物たちをも主人公に据えた。
だがこの変化は表層的なものにすぎない。
都市のパンクたちはビジネス・ヤッピーたちの逆数であるにすぎず、都市空間はもはや旧時代の根源的他者性によって特徴づけられているわけではない。(中略)後者から前者への転落はもはや絶対的かつ回復不能の惨事ではなく、むしろ前者はかつて「ストリート」と呼ばれた場所についての知識を提供するのだ。そしてその知識こそポストモダンな企業空間でのサヴァイヴァルにも欠くべからざるものだ。(フレデリック・ジェイムスン「匿名者たちのモノグラフィ」、『Anyone建築をめぐる思考と討議の場』、NTT出版、五五頁)
ジェイムスンのギブスン/サイバーパンク論を踏まえるなら、パンクスの「逆数」たる「ポストモダンな企業空間」の住人たちを表面に逆転させただけだと言える。
「カウボーイは本質的な意味ではアウトサイダーたりえない」と認識していた八〇年代から、パンクスとヤッピーの逆数(共犯)関係、あるいは二重性は存在していた。
二重性。
二重の戦略。
矛盾。
相互依存。
両義性。
隠された意図――こうした特徴は、ギブスンのあらゆる場所にみつけられる。
預けられたデータがなにかを知らずに輸送する「記憶屋ジョニイ」、一見ただのサングラスにみえるヴァーチャル・ライトを盗みだす『ヴァーチャル・ライト』、隠された背景があるフッテージを追う『PR』、わけあってiPodを奪い合う『SC』……。
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