第1章

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 おもえば、アップルがリドリー・スコット監督のCMを放映し、スチュアート・ブランドが第一回ハッカー会議を開いた一九八四年に、『ニューロマンサー』は刊行されたのだった。  ギブスンにおいてはアップルの広告がサイバーパンクのヴィジョンの、SONYのウォークマンが「サイバースペース」のインスピレーションの源泉のひとつだった(レヴィ『iPodは何を変えたのか?』、http://w2.eff.org/Misc/Publications/William_Gibson/salza.interview)。  だから新三部作に登場するアイテムは、iPodという選択ひとつとっても、感慨ぶかいものがある。  九〇年代までのギブスンは、じしんの作品に描く「未来」に「現在」の感覚を二重写しに描いていた。  しかし新三部作では「未来の普通小説」(菊池誠)であることをやめ、現代、すなわち「すでに起こった未来」(ピーター・ドラッカー)の普通小説として、現在を二重に写す。  サイバーパンクが触発し、触発されてきた文化や技術との並走のすえにうまれた「すでに起こった未来」としての現在が、サイバーパンクが溶けこみ暗号のように埋めこまれた現代の風景が、新三部作には描き込まれている。  それはポッドキャストを配信し、DJでもある臨場感アートの技術者ボビーによるロー/レズとクリスチャン・ホワイト&アーリアン・レゲエ・バンドのマッシュアップのようでもある。  新三部作では、ギブスン自身の過去作品と「現在」とがミックスされている。  たとえばケイス・ポラードの名は『ニューロマンサー』の主人公を、バンドあがりという設定はロー/レズやかつての同志ジョン・シャーリイたちを、卓越したロゴ認識能力は歴史の結節点を見いだすレイニーの能力を、ビゲントはハーウッドを想起させつつ、しかしアップデートされている。  だがそれもアンビバレントな気持ちを喚起する。 『スプーク・カントリー』の主人公ホリス・ヘンリーはかつてロックバンド〈カーヒュー〉のメンバーだったせいで、どこに行っても「あの〈カーヒュー〉の」と言われる。  ギブスンも一生「あの『ニューロマンサー』の」「サイバーパンクの」と言われつづける。
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