第1章

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 アンドレ・ブルトンによる『シュルレアリズム宣言』は1924年、ヒューゴー・ガーンズバックによる世界初のSF雑誌『アメージング・ストーリーズ』創刊は1926年、つまりシュルとパルプSFとは戦間期に、まったく同時代に成立していたからである(『鋼の錬金術師』の劇場版アニメはそうした時代の雰囲気をよく描いていた)。  ガーンズバックとブルトンとの出会いが、マージービートの時代に演出された――英国のニューウェーブSFとはそのようなものだ。  ディストピアSFの話題からは脱線するが、かように60年代後半に爆発した表現のほとんどは20~30年代に用意されたものの再来/発展である(たとえばドイツ表現主義なくしてフルクサスはなく、バタイユとハイデガーなくしてフランス現代思想の隆盛はない。日本浪漫派なくして三島由紀夫はなく、「新青年」なくして澁澤龍彦はない)。  20世紀文化史を考察するさいにはこの螺旋的な反復は重要。  ちなみにニューウェーブSFの同時代人ジミ・ヘンドリクスはSF読みであり、クラークやバラードの愛読者であったこと、「紫のけむり」はフィリップ・ホセ・ファーマーの短篇にインスパイアされたものであったことはかれの伝記にも書かれている。  また、バラードのデカダンスを受け継ぎつつ、ハードボイルドに変容したのがウィリアム・ギブスンやブルース・スターリングらによる80年代サイバーパンクである。  サイバーパンクのえがくトラッシュな未来、機械の死はバラード以上にたんに自明のこととして「マシンなんてポンコツであたりまえだろ?」という価値観にもとづいている。  が、ボロい機械観が前提になってしまうと、そこはディストピアでもなんでもなくたんに「そういうもの」なのだ。  このバラードとサイバーパンクの差異は、「ディストピア」が多分に主観的な(その世界に住むひとにとって/作品を読み込むひとにとって)類型であることを示している。
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