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難しいからこそ、やりたい。やってみたい。
その決意を固めて翌朝告げようと心に決めたその夜半過ぎ。西施が眠っていると、いきなり口を塞がれた感覚がした。驚いて目を開ければ、暗がりに黒い影。本能で危険だと解って暴れれば
「なんだ。起きちまったか」
という男の声。聞いた事が無い声だが、ここは宰相である范蠡の隣室。安全では無かったのか。こういった男に夜這いをかけられるのは初めてでは無いから、常に全力で抗っていた。今宵もそうしているというのに、普段と違って、男は去らない。
荒事に関わる兵士と、関わらない庶民の差だろうか。
手が外れさえすれば、隣室の范蠡に助けを求められるのに。ーー本当に? 不意にそう思った。実は范蠡の差し金では無いだろうか、と。西施に恐怖を与えて意思を奪う目的で、言う事を聞かせよう、と考えているのでは無いか。そんな穿った見方をした時だった。
「ほぅ。何やら気配が有ったので起きれば、私の命では無く、娘を狙ったか。死にたいらしいな」
冷気がこの室を満たしたか、と思うくらい、一気に空気が冷えた。その声は、范蠡。この声を聞いて、西施は馬鹿な考えを捨てた。西施が考えたような馬鹿げた策をこの男が使う筈が無い、と。愚策なのだ、と思える怒りを范蠡から感じた。
「范蠡、様」
男がーー兵士が范蠡の名を呼ぶ。范蠡の声が聞こえた途端に、手が離れ、西施は安堵する。口を押さえられただけだったのだが、身体の一部が押さえられるだけで、人は恐怖に陥るものだ。
「私の名は、このような事を起こす痴れ者に呼ばれるものでは無い。痴れ者が! 私の名を汚すだけで飽き足らず、娘に手出ししようとは、簡単に死ねると思うな!」
「お、お助けを! む、娘に誘われて」
「阿呆。誘った女の口を塞ぐわけが無かろう。それにこの娘は、お前のような地位も権力も金も名声も無い男など見向きもさせぬ。この私が、な。どれか一つを持って、漸く会話が出来るだろう。この娘はそれ程の価値がある。その価値を下げさせる愚行を犯しおって。……連れてけ」
いつの間にか、范蠡は背後に兵士達を連れて来ていたらしい。西施の室に入った兵士は、あっという間に連れ去られた。
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