第1章

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 笠井は第一次大戦以降の戦争(自動車=戦車などが導入され、ロジスティクスの大幅な革新がなされた近代戦)における大量死の経験が、大戦間本格ミステリの隆盛の背景にあり、また、大量死の裏返しである大量生こそが八〇年代後半以降の新本格ミステリの背後にあるとした。  大量死=大量生の時代において、人間は無意味なモノ、ゴミクズ、あるいは貨幣と交換可能な商品でしかない。  マルクス主義の用語を借りれば「物象化」である。  ひととひととの関係が、物と物との関係として現象する。  人間と人間との関係が、商品と商品との、労働力と貨幣との、数と数との、あるいは記号と記号との関係として映ずる(そうみえる)こと。  個々の作家が意識的かどうかはさておき、これこそ本格ミステリがベースとしてきたものだ。  本格ミステリでは登場人物は一九世紀的な「人間」(内面をもった存在)ではなくその形骸たる「人形」(記号)であり、死体はけっして「人間」ではなくただの物体にすぎない。  探偵は理性を道具のように、合理主義的につかうことによって犯人が組みたてた人間=物体の移動(殺人事件)を解決する。  人間がモノのようにあつかわれる事態への徹底した自覚と、徹底した反発ゆえに、人間をモノとして合理的/理性的に処理しながらも、同時に、犠牲者の死に特権的な(過剰な)意味づけをあたえることによって人間性を救済しようという逆説的なこころみが本格ミステリだった。  新本格ミステリは八七年の綾辻行人『十角館の殺人』にはじまり、九二年をさかいに綾辻、有栖川有栖といった第一世代の有力作家の代表シリーズがながらく中断することをもって本格ミステリの第三の波(新本格)の第一のサイクルが終わった、と笠井は言う(「九二年危機と二人の新人――麻耶雄嵩と貫井徳郎」『探偵小説は「セカイ」と遭遇した』所収)。  八七年から九一年ころにかけて、日本はバブル経済に沸いた。  ひとびとは数字=商品=記号の狂騒に生きた。
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