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たとえば女性が男性にもとめるものは数値で計測可能な「三高」(高身長、高学歴、高収入)だった。
「大量生」――人間がモノやカネに換算可能なものとしてあつかわれる大量生産、大量消費、大量廃棄社会とともに、新本格ミステリは繁栄の歴史をあゆんだ。
だがバブルは終わり、第一世代はながい平成不況にあえぐことになる。
九二年をもって大量生の時代はおわりはじめ、日本社会は変貌をとげようとしていた。
その間、青春をおくった世代は「ロストジェネレーション」と呼ばれることとなる「失われた一〇年」――既成の価値観や規範が壊れ、「例外社会」(笠井潔)化が進行した一〇年。
しばしば象徴的な年とされるのは阪神大震災とオウム真理教事件(地下鉄サリン事件)がおこった一九九五年である。
二〇〇〇年代にはいると日本では「格差社会」化が叫ばれはじめ、かつてのように「一億総中流」的な日本人の同質性を信じる者はもはやおらず、生死にかかわるレベルでの貧困やネットカフェ"難民"が問題となるようになった。
小森健太?烽ヘ『探偵小説の論理学』で、石持浅海や西尾維新らのミステリに、推理に必要な「ロゴス」のうち倫理コードや生活規範としての意味のロゴス、すなわち「ロゴスコード」の変化をみいだした。
主としてホワイダニット、つまり犯罪の動機の理解や解釈にかかわるロゴスコードは、なぜかわったのか。
政治、経済、社会の変容を身にうけたからだ。メフィスト賞受賞作のミステリとしての多様性と異様さは、そのあらわれだった。
高卒でパン工場でバイトしていた「ロスジェネ」佐藤友哉はその典型であり――清涼院流水はその先駆だった。
大塚英志は『サブカルチャー文学論』や清涼院と箸井地図との共作である『探偵儀式』において、清涼院の阪神大震災経験が、かれの大量殺人ミステリをうんだととらえた。
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