第1章

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 清涼院自身、『エル 全日本じゃんけんトーナメント』巻末エッセイで『じゃんけんトーナメント』の元になった原稿を執筆時に震災に遭ったこと、九六年四月刊行のデビュー作『コズミック』で事件が解決される日付が一月一七日であることは阪神大震災を意識してのものだと記している。  清涼院は震災で実家が全壊し、大量生の虚妄を知った。  つまり日本が経済的には「ゆたかな社会」から脱落し、あらゆる「安全神話」が崩れつつあったさなかに、瓦礫の山でくるしむ「剥き出しの生」(ジョルジョ・アガンベン)に身をもって直面した、もっとも早い例が清涼院流水だった。  彼は『カーニバル 一輪の花』で「粗製濫造で大量生産・大量消費される推理小説[ミステリ]のように、日夜、現実世界で増殖し続けている事件群とも一線を画する、前代未聞の大怪事件――それが、密室連続殺人」と『コズミック』の一二〇〇の密室殺人を形容していた。  これはつまり、それまでの大量生産・大量消費=大量生時代のミステリと流水大説とは、決定的に異なるパラダイムに属しているものなのだという主張だったのである。  ひとびとが大津波に呑まれる『カーニバル』や東京が水没する『コズミックゼロ』は、おそらく発表時にはリアリティのかけらもないものとして多くの読者には受け取られただろう。 『コズミック』や『カーニバル』は人類が未曾有の被災を経験するパニック小説としてではなく、ミステリとしてばかり受容された。  だが唖然とするほかない地震、津波、原発の三重苦、その「ありえなさ」に誰しもが直面した3・11以降には、清涼院作品を通じて、彼が九五年一月一七日以降に体験したものがどのようなものだったのかをよく理解できるようになったはずである。
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