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第一次大戦のショックが大戦間探偵小説を生み、清涼院は震災ののち戦争のたとえを用いて、次代のミステリを産もうとしたのだ。
■ポスト「人形の時代」のミステリ――不均質、不均衡な存在の蔓延
清涼院の震災作家としての側面から少し距離を置いて、二〇〇〇年代以降の日本を覆った問題がミステリに与えてきたことに目を向けよう。
まずは均質的な人間(=モノ)以外の行動原理、人間(=記号)らしくなくみえる論理構造について検討してみたい。
清涼院は『カーニバル』シリーズにおいて「獣人」と「神人」とを区別し、舞城王太郎は『山ん中の獅見朋成雄』や『獣の樹』で背中に鬣の生えた、馬からうまれた子どもを登場させ、『冥王星O』シリーズでは吸血鬼などが登場する世界の中でのミステリを描こうとしていた。
こうした「人外」をミステリに登場させる理由を、東浩紀が『動物化するポストモダン』以来、提起している「動物化」にひきつけてみよう。
オタク=動物は人間のようにはふるまわず、独特の価値観/ルールにのっとり、快楽原則に忠実に生きているかのようにみえる。
彼らの消費活動においては、ひととひととの関係ではなく、ものとものとの関係でもなく、ひとと動物の関係、あるいは動物と物質(商品)の関係が目撃されるだろう。
動物化とは、従来の人間とはことなるメカニズムで行動する生きものの台頭である。
このようにとらえるなら、たとえば昆虫探偵を登場させた鳥飼否宇や、鳥飼に影響をうけ、海洋生物ネタを作中に充満させる汀こるもののこころみを、「壊れた人間」(≒人外)の存在が常態化した例外社会下のミステリとしてみる視点を得ることができる。
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