第1章

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 また、綾辻行人的な新本格ミステリと菊地秀行的な伝奇バイオレンスの融合を試みた奈須きのこ『空の境界』も、このながれにふくめられる。  人外(人間ならぬ存在)や魔法(科学技術とはちがう法則をもつ力)独特の論理が存在する世界におけるミステリの可能性をしめそうとしているからだ――米澤穂信による異世界ファンタジーミステリ『折れた竜骨』などはこの路線の端正な成果だろう。  そしてこれらの試行は、スタニスワフ・レムや神林長平、グレッグ・イーガン、野尻抱介や林譲治といった「人間」をもはや還るべき規範としてかんがえず、人間とは異質な知性をえがこうとしてきた現代SFと合流することにもなろう。  人間と模造人間(シミュラクラ)を区別し、つねに人間に軍配をあげてきたフィリップ・K・ディック的な二分法は過去のものだ。  いまや動物や昆虫、機械知性や悪魔が人間におとっているとは言えない。 「人間」はすでに還るべき規範的なモデルたりえない。  謎―論理的解明からの逸脱の原因も、「リアルな人間」も、二〇世紀の本格ミステリにはふさわしかった「人形」的な人物造形もめざさない「まんが・アニメ的」なキャラクター化の要因も、このように整理できる。  そしてJDCの異様な数の探偵は、こうした実験の全面化だったと結論づけられる。  ピーター・ドラッカーは現代社会の必然としての「知識社会」化と「組織社会」化を指摘した。  まさにJDCは「世界規模のマクロな大事件であればこそ、『狂気』も一個人のものではなく、『組織』レベルにな」(『カーニバル 一輪の花』)った問題の解決に、多様なナレッジ――無数の推理法――をもった非均質的な存在によって挑む「組織」(企業)だった。
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