第1章

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 こうした舞城王太郎前史から『ディスコ探偵水曜日』にいたるまでのながれ――同作で語られる「清涼院以前に愛媛川十三がいた」メフィスト賞史より、こう言いうる。  JDCトリビュートに舞城が参加し『九十九十九』を書いたからといって、舞城が清涼院の影響を受けた、などと短絡はできない。 『九十九十九』は単なる清涼院流水の二次創作ではなかった(東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』をはじめとする多くの舞城論は、時系列を見誤ってきた)。  舞城が清涼院登場以前、自身のデビュー以前からメフィスト賞でデビューすべく構築してきた「奈津川家サーガ」の世界にJDCの設定をとりこみ、みずからのものとしたものだ。  ゆえに『九十九十九』につづく『ディスコ探偵水曜日』は、「JDCトリビュート」と銘打たれていないにもかかわらず、清涼院が考案したメタ探偵・九十九十九がことわりもなく登場する。  舞城はその『ディスコ探偵水曜日』をミステリ誌ではなく純文学の雑誌「新潮」に連載した――それはつまり清涼院や自分がとりくんできた問題は、ミステリだとか文学だとかいったせまいジャンル論をこえて、いま(だ)書かれるべきものなのだ、という自負のあらわれである。  一九七三年うまれの舞城王太郎と、一九七四年うまれの清涼院流水とは、同時代に生きる同世代なりの、ある共有した感覚をもちあわせていた。  彼らはともに、新本格の父・宇山日出臣(宇山秀雄)が「ボクは綾辻さんに始まって京極くんにいたったこの道をもっと遠くまで歩きたいと思います。そこでどんな地平が見えてくるのか。楽しみです」(「メフィスト」九五年八月号)と言って世に問うたメフィスト賞設立の背景がよくみえていた。  そしてそこに新本格ミステリの、エンターテインメント小説のあらたなヴィジョンをえがくべく、つよい気概と問題意識をもちあわせていた。  現代の文芸が直面していたおなじ問題にそれぞれとりくみ、対決し、たがいの成果を吸収しあい、交差していったのだ。  大森望は『このミステリーがすごい!2009年版』で、『ディスコ探偵水曜日』を「清涼院流水問題」に真正面から向きあった作品だと言った。
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