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ミステリやSFがどうしてももってしまうバカバカしさにマジメに立ちむかったのだ、と。
一理ある。
けれど「清涼院流水以前に愛媛川十三がいた」メフィスト賞の歴史を描いた『ディスコ探偵水曜日』が相対した「清涼院流水問題」とは、清涼院流水がミステリ界にもたらした衝撃とは、「バカバカしさがどうこう」というレベルのものではない。
二一世紀のミステリは、二〇世紀のミステリとはことなるものとなる。
政治、経済、社会、テクノロジー、そしてミステリと隣接する数々のメディアの影響を受けて、まったくことなるものとなる。
登場時には暴挙にしかみえなかった清涼院の試みは、そうした変容したミステリの先駆であり、予言であった。
そしてここまでみてきたように、清涼院流水問題とは、はじめから清涼院流水・舞城王太郎問題だった。
■本格ファンを当惑させた清涼院流水の三つの試行
清涼院流水とはなんだったのか。
清涼院がデビュー作『コズミック』以来、ミステリ界に波紋をおよぼした要因はこうだ。
第一にそれまでの(新)本格ミステリが護持してきた謎―論理的解明という構造の事実上の放棄。
第二に探偵の「まんが・アニメ的リアリズム」(大塚英志)化=ミステリの自覚的なキャラクター小説化。
第三に探偵や密室、殺人事件などの量的拡大である。
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