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しかし、アーサー・C・クラーク『幼年期の終わり』のオーバーロードさながらに、圧倒的に進んだ科学文明を持つ支配者が衛星軌道上に監視兵器を配置し、結果、地上の民は開拓時代のアメリカ人並みの科学技術しか使うことを許されず、一定以上の高さへ舞い上がった飛行体はすべて撃墜されるシステムが敷かれている。
という『続・殺戮のジャンゴ』の設定は、田中芳樹『七都市物語』(一九八六年~一九八九年に発表され、一九九〇年にハヤカワ文庫JAから刊行された)から頂戴した設定であることも明白なのである。
田中芳樹もまた、八〇年代に黄金時代を築いた作家だった――もちろん、そののちも支持され続けているのだが。
虚淵玄は『Phantom』の説明書の末尾に「スペオペやりてえ」というようなことを書いている。
一九七〇年代うまれのある種の人間にとって、極端なことを言えばスペースオペラとはほとんど田中芳樹『銀河英雄伝説』(一九八二年~八七年)のことを指す。
田中芳樹から虚淵への影響は、『ジャンゴ』以外にも容易に想像がつく。
たとえば『銀英伝』ではラインハルト・フォン・ローエングラムとヤン・ウェンリーという二人の将が対峙する。
二人の英雄を軸に展開するというスタイルは、『Fate/Zero』における衛宮切嗣と言峰綺礼、あるいは『PSYCHO-PASS サイコパス』における狡噛慎也と槙島聖護の関係を思わせる(どちらがラインハルトタイプでどちらがヤンタイプとか、そういう意味ではない。性格設定が似ているとは、言えない)。
あるいは自分の作品は英雄を描く「英雄譚」である、という言葉づかいからも。
英雄は、何かを引き受ける人でなければならない。逃げないというのは、英雄に必須の条件だと思うんですね。あと「求められるのが英雄譚だ、という話しましたが(原文ママ)、それ以外のものを書けと言われたことも、書きたいと思ったこともない。英雄譚ではないもの……と考えると、それこそ私小説くらいしか、書くことがない気がします。(『魔法少女まどか★マギカぴあ』七四頁)
虚淵玄の作品はつねに運命と重責を引き受けて闘う英雄の物語、隠しようもないほど血と硝煙の匂いを染み着かせたヒーローが道を拓く活劇である。
ここでは「冒険小説の時代」(北上次郎)から虚淵玄に至る英雄譚の系譜を引くことにしよう。
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