110人が本棚に入れています
本棚に追加
一旦男性と交わった視線を切り、布団に横になったまま黒目だけを動かして辺りを見回すと、布団が四枚ほど敷けそうな決して広くはない部屋の中心に囲炉裏があり、そこから煙が線になって天井へと上がっている。その煙の線を追っていると、再び男性と視線が交わった。
「あ、んんっ、あの……、ここはどこじゃ?」
長く声を出していなかったのか声が掠れて言葉にならず、咳払いをしてから言葉を向けると、男性の丸く肉付いた頬から笑みが溢れた。
「私の家です」
少し低めの柔らかいその声は、やはりどこか懐かしくて緊張の糸が解けていく。
「おぬしは誰じゃ?」
「私は信助(のぶすけ)と申します。そっちの犬は私の相棒のゴンスケと申します」
信助殿はワシの問いに穏やかな笑みを浮かべ、戸口脇に座っている白鼠色の犬を指さした。
「おお、利口そうな犬じゃな、ところで信助殿……、ワシはどうしてここにおるのじゃ?」
ワシがなぜここに居るのか、懸命に記憶を呼び起こそうとしたが、どうしても思い出せない。そもそも過去の記憶が一切なくなっていた。自分が何処の誰なのか、それすら思い出せなかった。辛うじて覚えているのは、ヤエという名と53歳という年齢だけ。
最初のコメントを投稿しよう!