第二十五話 悲しき王

4/4
45人が本棚に入れています
本棚に追加
/35ページ
「……苺だ。好きだろ?」 男はそう言って《早く食え》とばかりに苺を私に突き付ける。 ……そりゃ苺は私の大好物だけど。 そんな事を考えたまま目の前の真っ赤な苺を見つめ続ける。 「早く食え」 その男の言葉に眉を顰めると、そのまま恐る恐る男の摘んでいる苺を食べた。 するとその瞬間、辺りからザワザワとざわめきが起こり、周りの皆が何やら囁き合っている姿が見える。 ……美味しい。 モグモグと口を動かしながら、一向に状況が理解出来ない。 「美味いか?」 その男の問いに眉を顰めたままコクリと頷いて返すと、次の瞬間、男はニッコリと優しい笑みを浮かべた。 そのほんの一瞬の眩しい笑みに、思わずゴクリと喉を鳴らして苺を飲み込む。 その眩しい笑みは、遠い昔に見た《優しい少年》の笑みと全く同じで……何故か小さく胸が高鳴るのを感じた。 「お前は昔から苺が好きだった。俺のケーキに乗っている苺も全部お前に取られていたな」 男は昔を懐かしむ様にそう呟くと、それから微かに……悲しそうに笑った。 その彼の呟きに、やはり彼があの大好きだった少年である事を再認識し、言い表せない複雑な感情が渦を巻く。 ……どうしてこんな風になってしまったのだろうか。 悲しい笑みを浮かべる彼の横顔を見つめたまま、そんな事を考える。 確かに彼はあの少年であるのに……しかし彼はあの少年とは違う。 そして私は何も知らなかった幼い少女ではなく……全てを知って尚、何もできない無力な女。 そんな事を考えながら辺りを見回すと、淫靡な雰囲気を纏った爛れた空間がそこには見える。 彼はこの狂った世界の王。 彼の一挙一動を誰かの窺う様な視線が追っている。 ……分からない。 私は……どうしたらいいのか分からない。 爛れた空間と彼の悲しい笑みを見つめたまま、漠然とそんな事を考え続けていた。
/35ページ

最初のコメントを投稿しよう!