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side 涼
達貴が言いたい事がありそうな顔をしていたので、席を立ってカウンターへと立った。
と言ってもここは達貴の領域。
俺もそれなりの事は学んだし、達貴が休む時などはここに立つが、手を出す余地のなさにグラスを拭いてごまかす。
彼女は多分履歴書なんて用意できなかっただろうと踏んで事前に作っておいた履歴書代わりの紙に記入してもらっている。
「へー、絵美さんって言うんだ」
覗き込んだ名前の欄にはフルネームで秋月絵美、と書かれていた。
28、という年齢にも驚いたが、女性の年齢に触れるなんてタブーは犯さない。
とくに顔が幼いとか、そういうわけじゃない。
ただ化粧だとか、纏った雰囲気が自分の周りにいるタイプと違いすぎて、そこにもう少し年齢は下なイメージがあった。
「名前も知らないんですか?」
仕事モードのままの敬語の達貴は、小声ながら驚きの声を上げた。
名字以外何も知らない、と言ったらさらに驚かれて、次の瞬間には心配そうに眉を下げる。
「聞いてもいいですか?」
「だめ」
次にくる質問はきっとなんで彼女なのか、だ。
達貴ならどこで出会ったとか、どんな関係だとかそんなまどろっこしい事じゃなく率直にそう聞いてくる。
彼女自身にも聞かれた。なんで私なのか、と。
そんなものは俺自身も聞きたい。
彼女は、本当にたまたま入った喫茶店で見かけただけだ。
見た目だけなら、可愛いも美しいも彼女とは比にならない女性を多く知っている。
一目で惹かれるものがあったなんて事は、どんなに盛ってもない。
その店に通っていたのも、ただ目的の場所に近くて知り合いにも会いそうになかったからだ。
店で引いてるわけではないだろう粉を使ったコーヒーにも興味はなく、
正直おいしいと思えなそうなコーヒーをアメリカンにしてさらにまずいミルクを2つ入れて風味をごまかして流し込んでいた。
なら飲まなきゃいいんだが、そういう気分だったからだ。
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