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「奥はん、もう覚えんと、迷わはりますえ」
(があー、たまらん)
がばっと、がばっと行きたい衝動を抑え、耐えに耐えている自分を褒めたい。
その着物を毟りとり、あーれーっと帯を回転させ、京都弁の喘ぎを堪能したい、そうトリップした意識を世津が引き戻した。
「そや。ライトアップ始まったんや。見たあらしませんか?」
十一月も中旬に差し掛かり、京都の町並みはどこも紅葉狩りで賑わい、方々でライトアップが楽しめる。秋の京都はまだ資料でしか経験がなく、それも楽しみのひとつとなっていた。
「はいっ! 是非っ」
その勢いに舞妓姿で麗しく笑われ、また胸をわしづかみにされた奥市だった。
******
夕刻、おばんざいの店をやっている世津の家に招かれた。店での食事は何度かあるものの、部屋へ通されるのは初めてだ。
「ほんとの京町の表屋造なんですねえ。世津さんはいい家で育ったんだなぁ」
平屋の玄関棟で繋がれた横長の町家のことを表屋造という。屋根がふたつ乗る形になったのは、店部分と家部分を分けるためだとも言われている。
「ばんばん寒い部屋どすえ。おばあはんも、よう我慢したはるわ」
夕食をご馳走になったあと、世津の祖母に挨拶をし、奥へと案内された。
長細い石畳のミセニワを通り抜け、ダイドコを通る。家族が食事をする場所で、台所とは赴きが違っている。客人が通される場所はオクと呼び、いわゆる奥座敷のようなものだ。
座敷庭という、都会では到底見ることのない家の中に庭が設けられ、町屋の風情を醸し出している。
「ほな、着替えるさかい、少し待っておくれやす」
「はい。いくらでも待ちます」
そう言うと、また世津がはにかむような笑いをみせ、もうこれはいけるんじゃないか、とすら思えた。
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