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故郷とは違う虫の鳴き声に耳を傾け、俺は置き去りにされた御輿のなかでじっと鬼を待っていた
鬼は賢く人語を解し、生け贄のことについてもきちんと理解したと聞いている
約束の時まで間もなくだ
松明の減りを見ながら夜の闇に気を巡らせば、それは明らかな気配とともに現れた
(鬼だ)
肌の内側から、冷たい炎で炙られるような不快な感覚
アヤカシの気配だ
遠くの闇にうっすら浮かぶ白い姿に、俺はグッと背筋に力をいれた
(流石鬼。こんな距離でも喰われそうな威圧がある)
白い影のようなその鬼は、すたすたと人間のように歩いて近付いてきた
そして、松明の光が足に届く距離になって立ち止まる
どうやら見られているようだ
御輿の中から俺も鬼をみた
顔はみえないが、すらりとした立ち姿
(ああ……、ずいぶんと)
人間に近い姿をしている
長い白髪に鮮やかな赤い着物
頭に角さえはえてなければ、ただの青年のように見えた
リーン、リーンと鈴のような虫の音が、静かなその場に深く響いている
鬼はしばらくして、ゆっくり一歩進み出、言った
「そなたが私の贄?」
声は、涼やかで
口調は子供のように無垢だった
俺は何よりその時炎に照らされ現れた鬼の顔に驚いて、瞬間、頭が真っ白になった
その滑らかさを見てとれる白肌と
形のいい瞳に、少年の名残を残した細い顎
男の癖に、ゾッとするような色気があった
(これが鬼か)
思わず思った
その美しい顔に、うっすら不安が漂っていたからだ
鬼はたどたどしく、伝えた
「あなたをくれると、男たちが言った。それから、あなたを持ち帰って、あなたと暮らせとも。そうで違いないの?」
鬼の髪がさらりと風に揺れ、銀のように輝いた
俺は疑問を抱きながらも頷いた。汗がにじむ
鬼は少し落ち着いた顔をして、また俺に近づいた
「私は、あなたの言う通りにするから」
また一歩。
あと少しで呪に触れる
俺は袖に隠した手で印を切り始めた
あと二歩、こちらの境界に入った瞬間呪をかける
ここに閉じ込めじわじわと殺す
俺は死ぬだろうが、鬼も死ぬ
どくり、どくりと胸が波打つ
鬼がまた一歩近づいた
爪の鋭い手が延びる
ーーーーー境界にはいる
「だから私を、怖がらないで」
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