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「元気そうじゃねーか」
一言声をかけて、来客用ソファに促し、コーヒーサーバーの前に立った。
午前中に点てたコーヒーは酸化が進んでいて、香りも味も落ちる。
俺は気にしないが、客には向かないだろう。
新しくフィルターをセットしていると、聖司がごそごそと書類を出した。
「これ。婆さんの遺言だ」
「それを俺に見せてどーするよ」
少なからず、心拍数は上がっている。
かつて自分が婆さんに提案したこととはいえ、いまとなってはあのときは冷静さに欠いていたと言わざるを得ない。
ここにタケヒロがいる。
それはきっと、そういうことなんだろう。
「母親は?」
調べようと思えば、いくらでも調べられた。
けれど、自ら行動しなかったのは、タケヒロに関わらずに済むならその方が良いと思ったからだ。
幸せに生きていてほしい。
でも幸せじゃないならその時は……。
大きな矛盾。
やはり冷静さを欠いていたとしか思えない。
「シャブに手を出してこの間捕まえた」
「聖司、タケヒロの前でっ」
「いいんです」
タケヒロの落ち着いた声が、俺の荒げた声を遮った。
「婆ちゃんが生きている間、何度か会いました。
でもあの人は相変わらずでした。
父のことを聞いても知らないと言うばかりだし、まあ、あの人の人生において、僕は邪魔でしかないと言うことなのでしょう」
冷静すぎるタケヒロの声が、昔の自分を思い起こさせるようで胸が軋む。
「……おまえの選択は、それでいいのか?」
立ち上ぼり始めたコーヒーの香りが、タバコの香りを上書きしていく。
「……僕が信用しているのは、三人だけです。
死んだ婆ちゃんと、親友一人と……あの日僕を助けてくれた人だけ」
タケヒロの強い眼差しを正面から受け止める。
「……飯は当番制だぞ」
「はい」
「学生の間はちゃんと勉強しろよ」
「はい」
「自由になりたきゃいつでも言え」
「散田さんがあまりにも酷い人だったら考えます」
口の端が上がった。
……婆さん、四年も頑張ってくれたんだな。
ありがとう。
タケヒロが今有るのは、あんたのお陰だよ。
「生意気なこと言うようになったな、お前」
「失礼な、大人になったと言ってくださいよ」
タケヒロも笑っている。
聖司が視線を下げて表情を緩めたのが見えた。
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