褐色の豆台風。

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 藝州秀英(げいしゅうしゅうえい)学院。 些かの自称こそ含むものの、地元広島県呉市の名士である田舗金満(たぼ=かねみつ)氏の一族が理事長を含む重要ポストを占めている、初等部から大学部はては附属女学校まで有するずっと後の世で言うマンモス校である。 来る者は拒まず去る者は追わずをモットーに掲げた同学院は地元になくてはならぬ存在である半面、余り有り難くない存在でもあった。 というのは、広島県内に限らず全国の学校にて、放校処分或いは退学処分を受け続けた末行き場のなくなりかけた不良学生にとって、同学院はものの例えではなく本当に最後の受け皿となっていたからである。 特に特別科第一部と第二部…通称トクイチとトクニには、年齢を問わず特に手のつけられない学生が集められていた。 因みにトクイチは男子生徒のみ、トクニは女子生徒のみでそれぞれ構成されている。
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