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出版社の仕事は、アルバイトをしていた時よりは忙しくなったものの、周囲の人に恵まれたおかげで楽しくできた。
達郎とも学生時代と変わらない関係が続いていたから、このまま結婚するまで続けるのだろうと思っていた。
事情が変わったのは二年前、会社の体制が変わってしまったからだ。
それまでの給料制ではなく、取材の難易度や拘束時間に応じて、報酬が支払われることになった。出来高制といえば聞こえがいいが、私たちは一斉に体の良い解雇宣告を受けた。
会社からの依頼を待つだけでは十分な報酬がもらえない。自分で仕事を見つけることもできずに、辞めて行く人もいた。
文章だけではなく写真も撮れた私は運が良かった。
ライターとカメラマンと別々に報酬を支払うよりも、経費を節約できると依頼が増えた。
なにより日下部さんとのパイプは強力だった。日下部さんのおかげで、仕事が途切れることはなかった。
日下部さんは以前取材をした先の土産店の社長だ。
「二代目、二代目って言われるのが、嫌なんだよ」
インターネットで売上げを伸ばしてからは、新しいことにどんどん手を広げている。
「考えたって何もはじまらない。なんでもいいから、バネにしてり、踏み台にしたりして、上に登れ」と言うのが、彼の口癖だ。
そうして日下部さんは、小さな出版社を立ち上げ、観光客をターゲットにしたフリーペーパーの発行でも成功した。
今では元の出版社の仕事よりも、そちらからの仕事の方が多くなっていた。
日下部さんは事務所を持たない私に、専用の机も用意してくれた。
誰も事務所にいないときは、宅配便が届いたならサインをして受け取るし、取引先の人の中には、私をこの会社の社員だと思っている人も少なくないだろう。日下部さんは、私にとって上司みたいな存在になった。
普段は一人で仕事をしている私には、その騒がしい空間が世間との接点だった。
私はときどき、自分が社会と繋がっていることを確かめるために、顔を出すことにしている。
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