十 西利太の村下

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「だが、どのように近隣諸国を治めれば良いか、まだ何も思いつかぬ・・・」  力で民の心はまとまらぬと布都斯(ふつし)は思った。前漢の栄枯盛衰と遠呂智の過ちに学び、民を思う誠意ある(まつりごと)によって国を治めねばならぬ、と布都斯は考えているが、今のところ具体的な案がない。 「ならば、最初に政庁(せいちょぅ)(やかた)を建てよ・・・」  布都(ふつ)旅伏山(たぶせやま)の山麓に館を建てたのは、爾多郷(ぬたのさと)が一目瞭然で、人々を指導しやすいからである。  館を攻められた場合、敵が郷の方角から攻めて来ればすぐわかり、背後の旅伏山(たぶせやま)は傾斜が急で越えられぬ。館に立て籠もることになっても、旅伏山の山麓は湧き水が豊かで鳥獣が多い。豊かな山の実りもある。 「承知した」 「先祖(うじがみ)の思いを遂げるには、国を大きくせねばならぬ。兵力を持つのだ。騎馬兵を整え、先祖の船のような軍船を造れ。・・・」  諸国と(いくさ)をする必要はないが、兵力を見せつけねばならぬこともある。後漢や高句麗に支配されぬよう、国を大きくせねばならぬのである。 「蹈鞴衆(たたらしゅう)鉄穴衆(かんなしゅう)で騎馬兵を整える。軍船建造は民の反感をかわぬよう、それなりの理由を見つける」  蹈鞴衆も鉄穴衆も自由に馬を操る。出雲の兵として規律を持たせ、重装備させるだけで強力な騎馬兵になる。だが、軍船建造は多くの人力が必要であり、騎馬兵を整えるのとは訳がちがう。兵力を持つためだけで人々に軍船建造を強いたら、遠呂智(おろち)の行いと同じである。
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