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取り繕ったような笑みを、美木は浮かべた。
「不安……なのか?」
「何が?」
「大会だよ」
「…………」
「…………」
美木はさっと目を逸らした。そして、こくんと頷いた。
「美木は……お前はさ、現役時代の俺より、余程すごいスイマーだよ」
「…………」
美木はようやく、顔をほころばせた。
「お兄ちゃんみたいなヘボちんと、一緒にしないでよね!」
んべ、と舌を突き出した。いつもの美木が帰ってきて、僕は少し安堵したのだった。
この年で――年齢はまだ思い出していないけど――若さのありがたみをしみじみ実感した。
あたしは、二宮さんの予想よりも早く快復が進んでいた。それで、許しが出て、潮騒に耳を傾けながら小説なんかを読んでいる。
例にSF。
「ふう……」
面白いけれど、ちょっと疲れた。
あたしはそろりとベッドを抜けると、窓辺に歩いていった。
「やっぱり……」
思った通りの景色が眼下に広がっていた。
――ざあぁん……
――ざあぁん……
耳は、正しくその意味をあたしに伝えていた。
波の音。
海がそこにあった。
浜辺。
ちろちろと白い舌みたいな波が、それを洗っている。
波が返すと、茶色い浜辺が真っ黒に濡れていた。
空は、真っ青な晴れ。海水浴には、持ってこいの天候に思えた。
そんな様子を眺めていると、胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
――泳ぎたい!
強烈にそう思った。それと同時に、焦りが、身体の奥でかっと燃え上がった。
欲求と感情は、あたしを戸惑わせた。
振り返ってみれば、あたしは割と呑気に、記憶喪失生活を満喫していた。別に、焦ったりはしなかった。そんな呑気ぶりが、海を見た途端崩れ去った。そして――。
「泳ぎたい……」
「何だって?」
振り返ると、二宮さんは立っていた。あたしはベッドに戻った。
「先生……あたしね」
「うん?」
「たぶん、泳ぐことが好きだったんだと思う」
「今、窓の外を眺めていたようだが……それで?」
「うん?波を見ていたらね、欲求が、こう、噴き上がってきたの」
あたしは、ぐわっと両手を持ち上げた。
「すごい、泳ぎたいって思った」
「ほお……」
「あっ、そうだ!」
あたしは、パンと手を叩いた。
「ねっ、今から泳いでもいい?」
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