0人が本棚に入れています
本棚に追加
味はいいのだが、食事を楽しむ気にはさすがになれなかった。
「お兄ちゃんが居なかったら……あたしきっと、死んでいたね」
「……かもな」
恐ろしい事だが、否定は出来ないだろう。
「あたしが、もし、死んだら……お兄ちゃん、悲しかった?」
「当たり前だろう」
「……泣く?」
「……かもしれないな」
美木の身体に取りすがって泣き叫んでいる自分が、頭に浮かんだ。
「そう……そうなんだ。うん、そうだよね。聴かなくたって、分かってた」
美木はタマゴサンドに手を伸ばした。その横顔は、何故か寂しげだった。
「どうかしたか?」
「ううん、何でも無いんだよ」
サンドイッチを銜えたまま、顔をこちらに振り向けた。溺れたショックから、まだ抜け出せないのだろうか? その笑顔は、やけにぎこちないものだった。
あたしの見ているのだ、太平洋だって事が判明した。
茜差す海に、沈む太陽は見当たらなかった。
「ねえ、先生……」
二宮さんはあたしの後ろに立って、窓の外を眺めている。
「……残念だね」
「何がだね」
「夕日が海に沈んだら、綺麗だったと思わない?」
「そうだな……」
海水が墨のように見える頃になって、あたしはベッドに戻った。
「先生、あたしね。やっぱり、泳ぎたい。すごく、泳ぎたいよ」
「ふむ……」
「あたしきっと、スイマーだったんだ。たぶん、今みたいに何日も水に触らないなんて事、無かったんだよ」
「身体が快復したら、存分に泳ぐといい。何、もうしばらくの辛抱だ」
「うん……」
理解の出来ない焦りが、あたしの中にあった。一日でも早く泳ぎたい……。
「そうだ、あたしね、またちょっと記憶を取り戻したよ」
「ほお」
「あたしね、例のふたりと一緒に、海に行ったことがあったみたい」
「ふたり……お前さんが思い出した男女か?」
「うん、そう。でね……」
あたしは目をつむった。
「あたし、やっぱり嫉妬してた。ふたりの仲を引き裂いたいって思った。真っ黒な感情で、心が塗りつぶされるんだよ。何か、怖いよね」
「……否定はしないな。人の心とは恐ろしいものだ。ましてや、そこに愛憎が絡んでいるとすれば、尚更だろう」
「……人の心って……怖いのかな?」
二宮さんは、黙ったまま頷いた。
そうなのかもしれない。
最初のコメントを投稿しよう!