華月詩歌

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 スイゼイはこうして、眺めることしかしない。あちらが気付くことなど、生涯ありはしないのだ。  でも、だからこそ。すべてを知っている。  その姿は、遠くからでもわかった。いいや、姿を見ずとも。  私の世界に現れるには、纏う気配が綺麗過ぎる。 「志貴さま……お久しぶりです」  眼が合うだけで駆けてくる。呼ぶまでもない。躓きそうで、顔を背けられない。  勘違いを、しそうになる。子どもの頃に予感したようにこの者は、私を好いていてくれるのではないかと。 「……よく来たな、薫」  手を伸ばしたい。触れたい。  しかし言葉など無くても、拒まれている。  右頬を焼き切った傷を隠す、真っ白の面は眸までも覆っていた。  聖域に触れるなんて、誰より私が、許さない。  「勿体ないお言葉を……あっ……わたし!」  別れたときと変わらない、白を基調とした水干に包まれたか細い躰を震わせて、唇に小さな手を当てる。男装では隠せない、その仕草は紛れもなく女のものだ。  私しか知らない。私が気付いていることは、薫すらも。 いつまで、このままなのだろうか。 「つい、以前と同じつもりで……失礼を致しました」 「っ……よい! お前はそのままで」  辞儀をする薫の双肩を掴み、ここまで言っておいて、私もハッとさせられた。  以前と同じつもりでいてはならないのは、私の方だ。  だが、わかっていても尚更、望む心を止める術は持てないのだ。  ……お前は、また私の側にいるのだろう? 今度こそ、ずっと。 喉元で言葉を飲み込む間、大きく見開いた片眼に吸い込まれていた。 「……おめでとうございます、志貴さま」  薫という人間を見るのは、七年振りだ。  志貴の乳兄弟で、身分も省みず幼馴染という立場。  相変わらず、自分だけは穢れを知らないと言わんばかりの無垢めいた顔をしている。特に美しいというわけでもないのに、ずっと、目障りで仕方が無かった。人間にこんな気持ちを知らされるなんて思うはずがない。  肩まで伸びた柔らかそうな栗毛に水干(すいかん)。どこにでも居る従者風情なのに、違和感を与えるのは顔半分を覆う面と、男の身なりをしているということ。  その理由は翡翠が詳しそうだけど、話してくれそうにない。翡翠も、あの娘を嫌っているからだ。 …… ※乳兄弟 基本的に皇族女性は授乳などの子育てをしないので、同時期に子どもが生まれた女性の乳で育てられます。ここでは志貴の乳母が薫の実母で、二人の間柄を乳兄弟といいます。 ※水干 男性用の平服。また、平安貴族の男性は髷に烏帽子が常識ですが、ここではお洒落の一貫としていますので髷を結わない人物、烏帽子を被らない人物も多々います。
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