二 出雲の頭領

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 日増しに暖かくなった。  野良仕事がはじまり、二人を訪ねてくる人々が減った。  田畑を耕し、種蒔きや田植えをするのは、蹈鞴衆(たたらしゅう)(さと)の人々と変わらない。  穏やかに晴れ渡ったその日。  木次館(きすきやかた)ちかくの畑を耕していた下春(したはる)は、妻の熱い視線を感じて(すき)を止めた。一町ほど離れた館の前で、(いね)芙美(ふみ)が手を振っている。 「布都斯(ふつし)っ。昼餉(ひるげ)にしましょう」  下春は妻たちにむかって手を振り、布都斯を呼んだ。  昼餉、と言っても、かんたんな食事をする昼の休息である。だが、布都斯は畑にしゃがみこんだまま返事をしない。 「布都斯。一休みしましょぅ。何をしてるんですか」  鋤をその場に突き立て近づくと、布都斯の前に土の小山がいくつも見えた。 「出雲の縮図だ。政庁(せいちょう)の位置を確認してる・・・。  旅伏山(たぶせやま)からは止屋淵(やむやのふち)と上流の簸乃川(ひのかわ)の流域と爾多(ふた)木次(きすき)、宍道湖と松江、中海と安来が見える・・・」  布都斯が旅伏山を示す北西の土の小山を指さし、 「・・・須我(すが)からは爾多の東部と宍道湖、松江、安来、中海と中海へ入る水道、夜見ヶ浜、美保の崎と外海(そとうみ)大山(だいせん)が見えるが、木次と簸乃川の流域が見えぬ・・・」  東の土の小山・須我を指さした。  そして、 「・・・須我からは仁多(にた)大東(だいとう)西利太(せりた)が見えぬが、これは旅伏山とて同じ・・・。これらは須佐(すさ)あたりからなんとかできる・・・。  稲佐浜の簸乃川の河口は、大雨や日照りになれば、深さが変わる。舟が出入りするには問題ないが、行く末、軍船が出入りするのは、やはり、松江か安来だな・・・」  東の小山の北にある、低い平らな土・松江を指さした。  須我は西利太の北東一里にある山郷である。西利太から松江郷へ至る街道の峠を越えた三室山(みむろやま)の東山麓にあり、ここから宍道湖、松江郷(まつえのさと)、中海、安来郷(やすきのさと)を一望できる。松江郷や安来郷へ行くにも、峠を越えて西利太や木次郷へ行くにも、都合の良い所である。  一方、須佐郷(すさのさと)は木次郷から西へ五里あまりの山あいにあり、石見(いわみ)へ抜ける要所である。そして、中海の松江の岸辺には、先祖(うじがみ)たちが漢から奪って出雲に渡来した五十人乗りの漢の軍船が、修復されて当時のまま舫ってある。 「やはり、政庁は須我、支庁は須佐ですか・・・」と下春。  布都斯が立ちあがって手の土をはらった。 「いかにも。須我の政庁に市を開く広場を造って、商いを広める。  騎馬隊と軍船についても考えた。説明しよう。騎馬隊に商いをさせながら、各地の海辺を監視防備させるのだ・・・」  すでに、蹈鞴衆と鉄穴衆(かんなしゅう)で騎馬隊が組織されている。二人は策を話ながら館へ歩いた。
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