一 木次の村上

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 鉄穴衆に《かんなしゅう》剣鍛治(つるぎかじ)の指導がはじまり、節分が過ぎた。  五穀豊穣を祈る新年の祭礼が終わり、布都斯(ふつし)下春(したはる)は二十歳になった。雪が少ない寒い冬だった。  早朝。門に馬蹄の音が聞こえた。 『なにごとだろう』  西対屋(にしたいのや)の下春は耳を澄ました。馬は十頭ほどに思えた。  いつでも屋敷に出入りできるよう、門は常に開けてある。それにしても夜が明けたばかりで、人が訪ねてくるには早すぎる刻限だった。  下春は芙美を起こさぬよう静かに身を起こした。音を立てずに(しとね)から離れ、すばやく南の妻戸(つまど)を開けて簀子(すのこ)へ出た。外は凍える寒さである。  下春と芙美(ふみ)が寝起きする西対屋からは、広場を越えて南東の方角に門が見える。  門に、五人の村人と荷を積んだ十頭の馬が見えた。広場に入ってくるのは仁多郷(にたのさと)の有力者たちだった。  下春は、布都斯を呼ぼう、と思った。  村人の一人が下春を見て、 『静かにしてください』  唇に指を当てた。東対屋(ひがしたいのや)の閉ざされた妻戸を指さし、身ぶりで、 『布都斯様はまだ気づいていない』  と示し、下春を手招きしている。  下春は霜のおりた簀子(すのこ)から、素足のまま階段を広場へ降りた。 「大声を、出さねえでくだせえ。  布都斯様と下春様に会いてえと思い、無礼を承知で、お二人が西利太(せりた)へ出かける前の、こんな朝早くに訪ねてまいりました」   白く息を吐きながら、村人は声をひそめている。 「わかった」  霜柱の広場に素足で立ったまま、下春は村人の話を聞いた。 「遠呂智(おろち)にたぶらかされ、わしらは櫛成在(くしなある)に、定めを犯すことを強いちまった・・・。  櫛成在が村上(むらが)をやめさせられた今、こんなことで、わしらの罪は消えはしねえ。だけんど、こうせにゃ、わしら仁多(にた)の衆の気がすまねえです。どうか、櫛成在を責めねえでくだせえ・・・」  村人は馬の背から、二十袋の穀物や作物を降ろした。 「それに、罪滅ぼしだけじゃねえです・・・。 わしらの食いぶちも、春に蒔く種も、なんとかなります。うそじゃねえ。どうか受け取ってくだせえ・・・。  布都斯様と下春様は郷々の不作を気になさり、手持ちの食いぶちまで郷の衆に配りなさった。祝言を挙げずに、お内儀をお迎えなさった・・・」  村人が涙声になった。 「・・・仁多からの婚礼の祝い、と思って、受け取ってくだせえ・・・」  下春は、定めを犯したことを省みる、村人たちの強い思いを感じた。
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