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館の広間の開け放った南妻戸の近く、南廂の簀子ごしに布都斯が座った。下春と和仁は布都斯の左に控えている。
この広間は、以前、寝殿と呼ばれていた所である。屋敷を囲んでいた丸太柵は櫓門だけ残して取りはらわれ、広場のまわりまで鉄穴衆の家が建ちならんでいる。
「須佐郷から、お願いにまいりました。これを受け取ってくだせえ」
村長たちは広場に座って布都斯たちにあいさつし、一人が階段を上がって笹の葉の包みが入った籠を下春に渡した。黍のだんごである。だんごが入った籠は馬の背にも積まれている。
「須佐郷は山ばかりで、作れるのはこんな物だけだ。衣や茣蓙は、なかなか、おらたちの手に入らねえ。娘たちにきれいな衣を着せてやりてえ。いい方法がねえだろうか・・・」
一人の村長が話しているあいだに、他の二人が馬から残りの黍の籠を降ろした。三人は布都斯と下春の知恵を借りるため、夜明け前に須佐郷を出て、五里あまりの遠路を訪ねてきたのだった。
須佐郷は木次郷の西五里にあり、石見へ抜ける山あいの要所である。須佐郷にかぎらず、山あいの郷の作物は粟や稗や黍が多く、産物と呼べるのは狩りの獲物くらいしかないため、石見の郷の多くが海ぞいにある。そのため、出雲から須佐郷を通って石見へ行く者は少なく、多くの者が爾多郷から海辺の郷ぞいに徒歩や馬で行くか、あるいは舟で簸乃川を下り、稲佐浜から行くかである。
遠呂智も、この産物のない貧しい辺ぴな山郷を見かぎったらしく、須佐郷には農具を商っていなかった。
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