カギ

29/57
前へ
/179ページ
次へ
エレベーターから降りて、ナースステーションの前に置いてある面会表に名前を書き込む。 終えて、看護師さんに一礼してから病室に向かった。 コツン、コツン、コツンと刻む足音に呼応するように脈打つ拍動が耳元でうるさい。 ナースステーションから病室までは僅かな距離で、もう、着いてしまった。 夜は閉められている扉が今は大きく開かれていて、廊下からも中が見える。 4月に入って日が延びたせいもあって、病室はこの時間でも窓からの明るさで十分なほどだった。 昨晩とは違う… 薄暗くて、夢の中のようだった現実味もない昨晩とは、まるで違う。 ここまで来ておいて、病室に入ることに少し躊躇いが生まれる。 現実と向き合うのは、怖い。 廊下からベッドとそこに収まっている人らしき形を見てから目を閉じる。 結果は変わらない。行くしかない。 深呼吸して、病室の中に一歩入る。コツンっと音が響いてしまって、自分でもびっくりして、立ち止まった。 息を止める。すると酸素を求めるように、心臓がいつもより早く打っているように感じる。 数秒、ピタリと止まってベッドの方を確かめるけど、そこは動かない。微動だにしない。 音が出ないように、そろりそろりと足を滑らせて前に進み、足元から覗き込むと、目を閉じているのが見えた。耳をすませば、スースーと規則正しい呼吸音も聞こえてくる。 お約束というか、外さないというか… 寝てる。 「ハァー」 緊張が解けて、ベッドの横にあった椅子の背もたれを掴む。何か支えがないとその場にへたりこみそうだ。とりあえず何度か深呼吸して落ち着かせてから椅子に座る。 この位置、昨日と同じだな… そんなことがふと頭をよぎったけど、気にしちゃ負けな気がした。 繰り返すことはない、まずない。たぶん。 昨晩と同じように、目の前にある手に指先を伸ばした。藤崎くんの手の甲を人差し指でスーっとなぞる。それだけ。それ以上はしない。 自分の手を丸めて、自分的には二の舞は踏まないぞ!という意気込みを現してみる。 ここまで、ノープランで来てしまったけど、第一声とか、昨晩の話をするか…とか細かいことなんて何も決めていない。 さぁ、どうしよう… もうすぐ理事長も来るし。 だいたい藤崎くん、寝てるし。
/179ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1050人が本棚に入れています
本棚に追加