第1話・約1週間前

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 千尋がクラスの誰よりも早く学校に来ることを知る者は、数人しかいない。最近の中高生には珍しい、早寝早起きの精神を順守する彼女の成長は小学生時点で止まっているのかも知れない、訳ではなく、単に早起きの両親が一緒に彼女も起こしてしまうからというだけである。  そんな彼女の朝の日課は読書だ。実に淑やかである。知的な容姿の割に、純文学小説が読めない彼女がもっぱら愛読するのは推理小説で、さらに同じ作家の小説を続けて読む癖がある。なので彼女の部屋の本棚は、一列が東野圭吾で埋まっている。  そして、千尋は早朝の教室で読書をすることに一種の快感を覚えていた。"快感"に淫らな響きがあると感じるのは中高生までだ。しかしあえてそれを言い換えるなら、それは優越感に違いないだろう。誰もいない教室を独占し、冬の朝日が昇るのを眺めることができる快感に彼女はずっと前から魅せられていた。  今日も相変わらず、朝日を背に千尋は登校してきた。朝からなんという清々しさだろう。普段の彼女からは伺い知れない、爽やかな表情を見れば男子諸君は態度を改めるだろう。もっとも、元から千尋は『淑女』として一部の男子から支持を得ているのだが。  靴からスリッパへ履き替え、階段を上がり、『1-A』教室までやって来た。廊下の空気が澄んでいるように感じる。静寂な校舎にはひんやりとした冷たさが一番似合っている。  いつものように、千尋は引き戸を開けた。 「……!」  すると、途端に彼女の身体は硬直した。冷えた手をポケットに引っ込め、唇を少し噛む。巻いたマフラーの裏に隠そうとして、若干上目使いになる。  双眸は正面のホワイトボードに向けられていた。 『警告書  桐島、お前を×して屋上で聖夜の飾りにしてやる。 東条も山鹿も同様だ。必ず、必ず、必ずだ。 聖夜の屋上にいるお前を監視して機会を待っているぞ!』  無機質な文体で印刷された文章から、強い殺意が伝わってくる。  脅迫文。磁石によって貼られた紙の正体を頭の中で理解して、後ずさった。文章でしか知らなかった、本物の脅迫文がここにある。  見開いた目がインパクトのある文章から外せない。それでもどうにか踵を返し、視界から逸らすと、職員室へ走り出した。
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