第1章

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病気に気がついた時は既に手遅れの状態だった。 告知を受けた父さんは、自分の体よりもあたしのことを心配してくれた。本当に父さんらしい。いつだって父さんはあたしを一番に思ってくれたのだ。 だからこそ、自分の残り少ない時間を考えて相当慌ててしまい、きっと分別がつかなくなってしまったに違いない。あたしの知らない見舞い客のいる病床で、とんでもないことを口走ったのだ。 「この方の家に嫁ぎなさい。それが菜月、お前のためなんだ」 「はっ?」 あたしは思わず、いただいたお花をいれた花瓶を落としそうになったけど、かろうじてこらえた。 「嫁ぐって……」 いったい何を言いだすのだろう、と思いながら、恐る恐る側に立っている見舞い客を見ると、その男性はにこやかな顔をあたしに向けた。 父さんよりも年齢が少し上くらい。白髪混じりの頭髪はきちんと整えられ、がっちりとした体格で着こなすスーツ姿はあたしなんかが見てもお金持ちだということがすぐにわかった。 一見品のある紳士なのだが、父さんの知りあい、というところが怪しい。 娘のあたしが言うのもなんだけど、父さんは得体の知れないところがあった。 父親としては文句のない人だ。母さんが亡くなって、男手一つであたしを大切に育ててくれた。あたしに寂しい思いをさせまいと、授業参観も運動会も毎年必ず来てくれた。 大好きな父さん。感謝してもしきれない。 人知れず苦労もしていただろう。そこまで子育てに融通してくれる職場なんてあるのだろうかと思うほど、父さんはいつだってあたしを最優先にしてくれた。 父さんのお仕事は何?って小学生のとき聞いたことがあった。サラリーマンだよ、と言われたけど、父さんはときどきしか仕事には出かけなかったし、学校から帰ると必ず家にいた。 それを許す会社があるというのだろうか。そんな状態でも父さんは職を失うこともなく生活に困らない収入を得ているようだった。 それでも、あたしが中学生になると、仕事に出る頻度は少し増えた。そのころのあたしが不審に思っていたのは、夜中に電話で呼び出されることだ。 そういうときの父さんは帰ってくるといつもぐったりと疲れきり、ときどき怪我をしていてあたしを心配させた。 一体どんな仕事をしたら、こんなに疲れて、怪我まで負うのか。
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