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#06.sprout
小相木ここあなる人物のことをおれはまったく存じ上げてはいなかった。
夕暮れと夜の隙間を縫うような時間帯だった。
先刻のライブの会場にいた人間と、ひいてはその瞬間この街にいた後藤さん以外の人間すべてと比べても勝るであろう歌唱力の持ち主が、おれたちの前に現れた。
科学準備室のごちゃごちゃした室内に響いたあいさつの声におれたちは身をこわばらせる。
後藤さんだけ平然として戸を引いて、目にした小相木さんににべもなく。
「おう、何しにきた」と問う。
分けへだてないのもたいがいにしろよ。
「後藤さん、もしかして知り合いなの?」
おれが聞いてみたものの「いいやぜんぜん」と首を振られる。ちょっとあきれる。
「お礼をしにきたんだ」
小相木さんの言葉に誰もが首をかしげるなか、後藤さんだけがこぶしを固める。
「お礼参りか? ええ!? 私が言ったことにハラぁ立てたんか!? 荒事はニガテだがやるならやるぞ!?」
ひとり色めき立つ後藤さんに小相木さんは笑いかける。
「いやいや、ちがうちがう、文字通りのお礼だよ。今回はありがとう、後藤塔子さん」
「……へ?」
後藤さんは思わぬ感謝の言葉に毒気を抜かれたようにそうつぶやいていた。
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