第1章

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「ところでお母さんは? 迎えに来てるんでしょ?」香奈が言った。話題を変えようとでも思ったのかもしれない。 「あ、ああ。下で会計してる。そろそろ来るかも」そう答えながら、西に老けた母さんを見られたくないと思った。香奈は物心ついた時から母さんのことを知っているから、これまで香奈に大してそんな気持ちを抱いたことはなかった。  薬の入ったビニル袋を片手に戻ってきた母さんは、三人が見舞いに来てくれたことにいたく感激し、壊れたCDのように延々と「ありがとう」を繰り返した。  面倒なやり取りがやっと終わり、皆で部屋を出る。着替えと箱ティッシュと西がくれた謎のみやげが入ったデパートの紙袋は、多田が持ってくれた。エレベーターで一階に下り、わざわざ玄関で待っていてくれた渡辺さんに見送られ、おれたちは外に出た。よく晴れていた。久しぶりに外に出たが、寒くも暑くもなく、風も心地よかった。 「よかったら皆さんお送りしますけど。どうですか?」病院の前の駐車場。使い込んだ紺色の我が家の軽自動車を前にして、母さんが言った。 「あ、おれは自転車で来たんで、大丈夫です」多田が胸の前で手を振る。多田の家は高校のすぐ近くにある。自転車ならこの病院まで五分ほどだろう。 「私も、大丈夫です」西はその理由を説明しなかった。そういえば、西の家がどこにあるのか、そんなことさえもおれは知らかった。 「せっかく来てくれたのに何もできなくてごめんなさいね」母さんが心から申し訳なさそうに言い、一拍置いて続けた。 「香奈ちゃんは乗ってくでしょ?」うちと香奈の家は目と鼻の先だ。おれも、当然一緒に乗って行くものだと思っていた。 「あ、私? あ、え、いや、いいです、今は。ちょっと、ブラブラしていきたいんで」香奈は明らかに慌てていた。昨日の今日で、おれと二人で後部座席に並ぶのが恥ずかしかったのかもしれない。しかも、運転席には母さんがいるのだから。 「あらそう? じゃあいいのかな」少し不満そうな顔をして、母さんは車の運転席に乗り込む。 「今日はわざわざありがとう。なんか、照れるな」おれは三人に改めて礼を言った。香奈が、西が、多田が、微笑んでいる。 「今日はあれは休みな。皆に言っとく」多田がおれに近づき小声で言った。麻雀のことだろう。おれは小さく頷いた。
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