第1章

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 手持ち無沙汰だったのでリモコンを見つけてテレビをつけてみた。朝のニュースだった。五月二十三日、八時二分。どうやら、浦島太郎にはならずに済んだようだった。  味の薄い食事を摂り終えて横になっていると、パタパタという足音が近づいてきてドアを叩く音がした。 「はい」入ってきたのは、またもや渡辺さんだった。 「食べれました?」 「ええ、ご覧の通り」すっかり空になった食器を見ながらおれは言う。 「さすが。若いですね。点滴はもう要らない感じですね」渡辺さんが、おれの左腕に刺さっていた管を手際よく抜く。針の抜ける瞬間、少しだけ痛みがあった。管を押さえていた紙テープもそっと剥がしてくれた」 「ありがとうございます」 「なんかもうだいぶ元気ですね」 「ああ、はい、多分」多少の不安を覚えながらおれは応える。 「あ、心配しないように言っておきますけど、財布とか携帯電話とか貴重品はわたしがナースステーションの金庫に預かってますから。最近置き引きがあったから、色々気をつけてるんですよ。すぐ返しますから、部屋の金庫に入れるようにしてください」渡辺さんがテレビの下にある金庫に目線をやりながら言った。 「はい。わかりました」 「それじゃ、まずは榊先生のとこに行きましょうか。九時から、大丈夫そうですか?」渡辺さんが壁に掛けられた時計に目をやる。八時四十七分。 「失礼します」声を掛けてから、一番診察室のドアを開けた。中には白衣を着た、いかにも暗そうな、男の医者。 「山井君だね、どうぞ座って」上等な椅子に座った医者が、ペンを持って机のカルテを覗き込んだまま言う。医者はボサボサの髪に無精ひげも生やしていた。黒い頬ひげのせいで、こけた頬がより一層黒く見える。歳は三十過ぎ、だろうか。白衣の上からでも、不健康な感じにやせているのがわかる。 「失礼します」青い病院着一枚の姿で、安っぽい椅子に腰を下ろす。自分が昨日風呂に入っていないことに今頃になって思い当たる。 「担当の榊です。よろしく。昨日はよく寝れたみたいだね。気分はどう?」榊と名乗った医者が椅子の向きを変え、初めておれを正面から見た。鋭い眼光は怖いくらいだった。多分、優秀な人なのだろう。 「えーと、普通、です。眠気とダルさはありますが」 「なるほど。朝食もしっかり食べた、と」カルテにボールペンで何か書きながら榊先生は続ける。 「頭は痛くない?」
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